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Primoplanは1936年戦前ドイツのHugo Meyer & Co. (フーゴ・マイヤー) から、一番最初のモデルが発売されました。このブログでは情報が錯綜している光学設計を特定しつつ、そこから辿られる描写の傾向を探って研究を進めていきます。
今回扱うモデルは、戦前ドイツのHugo Meyer & Co. Görlitz (登記された正式名称:Optische und Feinmechanische Werke Hugo Meyer & Co. Görlitz:フーゴ・マイヤー) より、1936年に発売された「Primoplan 5cm f/1.9」を発端とする、戦後の再設計モデルの一つで、1955年に製造された「Primoplan 58mm f/1.9 V (M42)」の中の一つです。
ここで一つ確実に抑えておくべき事実があります。戦前は或る意味戦後とは全く異なる自由競争が存在し得る環境にあった企業体が、戦後には戦前ドイツが東西に二分され、特に旧東ドイツ側 (ソ連占領地域 SBZ:Sowjetische Besatzungszone) が1949年以降「国家体制」の監督下に置かれたと言う大きな事実です (以降東ドイツと呼びます)。
従って東ドイツの国家体制は100%ソ連の国家体制の監督下に置かれ、同じ管理手法を強制されたという認識の基に、これから探索していくMeyer-Optik Görlitzとともに、実は同じ東ドイツに属していたCarl Zeiss Jenaと合わせ、もう一つ後のMeyer-Optik Görlitzの命運を分けてしまう根拠に至る、PENTACONと言う企業体との関係性についても、並列的に探索を続けていかなければ、俯瞰的な変遷が見えてこないという、実に複雑で難しい経緯があることを捉える必要があります。
しかし残念なことにネット上の多くの解説ページで、前提条件としてこのような要素の解説を最初に提示していないことが多く、様々な憶測や不適切な解説を産み出し拡散を招いているとの根拠になっています。
・・先ず、この点を明確に皆さんには認識して頂きたいのです!
従ってここからの解説ではまず最初に、敗戦時の東ドイツでどのような国家管理体系が組織化されていったのか、そしてその中で大きく3つの企業体を取り上げ、Carl Zeiss JenaとMeyer-Optik GörlitzにPENTACONを追い続けることで、1946年〜1989年までのスパンで互いの企業体の変遷を追っていきます。
この課題をクリアしない限り、互いの企業体がどのような運命で絡み合いながら辿っていったのかがまるで見えないからです・・ご理解下さいませ!
戦前戦中のドイツ国民が到達した高揚 ― 日常生活に現れたピーク ―
戦前戦中のドイツ国民の社会的現象たる「高揚感のピーク」を理解するには、政策や統計ではなく、人々が日々の暮らしの中で実際に感じ取っていた、生活の実感から語らなければなりません。敗戦と不況の暗いトンネルを抜けた後、街では仕事を終えた人々がカフェに集まり、ダンス会場は夜ごと賑わい、酒場では笑い声が絶えず、どこへ行っても人の往来と活気が満ちていました。夜の街には灯りが並び、街灯の下では恋人たちが待ち合わせをし、ラジオからはリリー・マルレーンが流れ、誰もが「いま生きていることの喜び」を日常の中で感じ取っていました。自分だけでなく、周囲の人々も同じように生活の充足を感じていると実感できる社会の到来こそが、多くの人々にとっての「高揚のピーク」でした。ヒトラーの車列に群がる老若男女の群衆が見せた熱狂は、外から見れば狂気に映るほどの規模であり、この時代に於いて成立してしまった生活を楽しむ人生の味わいが、街の至るところで具体的な日常として現れていたことを示す光景でした。
それは第一次世界大戦の敗戦による屈辱と大恐慌による長期不況の記憶を抱えながらも、雇用が広がり、朝に職場へ向かい、週末には余暇を楽しむという生活の循環が社会の各所で見られるようになります。工事の進む通り、稼働する工場、整えられた公共空間は、日々の通勤や買い物の中で目に入る具体的な変化として認識され「社会が前へ進んでいる」という明るい未来と言う感覚が、生活の中に積み重なっていきました。
余暇制度や各種行事が広く行われる中で、人々は集まり、音楽に耳を傾け、踊り、語らう時間を共有しました。街頭に集まる群衆や式典へ向かう人々の姿は、特別な出来事であると同時に、日常の延長として経験され、同じ時代を生きているという実感を強めていきます。
つまりこの時期の高揚は、理念や宣伝など凡そプロパガンダによって説明されるものではなく、日々の暮らしの中で繰り返し確認される生活の充実と、社会の活気が生み出した社会的感情でした。この生活感覚を前提に置くことで、その後に訪れる敗戦と占領が、それまでの日常が途絶し、以前の前提が失われた状態として受け止められる背景が見えてくるのです。
東ドイツ成立直前、敗戦直後のSBZ ― 占領統治と制度枠組みの成立条件 ―
1945年の敗戦後、ソ連占領地域では、ソ連本国に於いて確立されていた社会主義体制の原理に基づき、経済と行政を国家主導で運営する仕組みを、占領地域にも適用する方針が採られます。その方針の下で、中央行政局群及びドイツ産業中央管理局と呼ばれる機構が設けられ、占領統治下での行政運営と産業管理が進められていきます。
ソ連の制度では、生産手段や主要産業を国家が管理することが経済運営の基本とされており、この考え方を占領地域にも反映させるため、戦前戦中のドイツで形成されていた所有構造を変更する措置が実施されます。ここでは Enteignung (没収) という措置が実施されますが、その対象は以下の通りです。
▪ナチ党やその関連組織の財産 (党施設、党系企業、党資金)
▪戦争犯罪と認定された人物の財産 (工場、銀行資産、不動産など)
▪大規模軍需企業 (兵器・弾薬・軍需部品を製造していた企業)
▪旧ドイツ国家の資産 (国有企業、国家機関の設備など)
これらの資産は占領当局の管理下に置かれ、その後の国家主導による経済運営の基盤として扱われました。
戦後直後の統治枠組 ― SMAD統治下からDWK設置まで ―
1946年6月時点のソ連占領地域では、最上位の統治主体は SMAD ― Sowjetische Militäradministration in Deutschland (ドイツに於けるソ連軍政当局) であり、行政・経済・没収政策を直接指揮していました。各州レベルでは Land Sachsen (ザクセン州政府) が存在し、州の行政機構として Industrieverwaltung landeseigene Betriebe Sachsen (ザクセン州国有企業工業管理局) が、没収企業および州管理企業を監督していました。
1947年6月4日には中央経済統制機構として DWK ― Deutsche Wirtschaftskommission (ドイツ経済委員会) が設置され、産業部門別の統制を開始しました。企業体の位置付は、没収・国有化により VEB ― Volkseigener Betrieb (人民所有企業) として再編され、複数のVEBを産業別に束ねる上位単位として VVB ― Vereinigung Volkseigener Betriebe (人民所有企業連合) が形成されました。ただし、VEB化の時期は企業ごとに異なり、対象期間に於いて既にVEBとなっている企業と、後の国有化によってVEBとなる企業が併存していました。
この構造に於いては、SMADが最上位 → DWKが中央経済行政 → 州工業管理局が地域監督 → VVBが産業別統括 → VEBが個別企業 (つまり最下位) という階層関係が成立していました。そのため、光学産業に於いても、上位の占領当局と中央機構から州の管理を経て、各企業へと至る監督関係が前提条件として与えられていました。
対象期間内に於ける3つの企業の遷移 ― Zeiss・Görlitz・Dresden ―
Carl Zeiss Jena は、1946年6月 ~ 1947年5月の期間内では、SMAD の統制下および DWK の経済統制枠の下に置かれており、まだ個別に VEB として再編されていない状態でした。
この時、Hugo Meyer & Co. Görlitz (フーゴマイヤー・ゴルリッツ) は、1946年6月30日のザクセン州住民投票による没収を経て、1946年7月1日に VEB Optisch-Feinmechanische Werke Görlitz (ゲルリッツ光学精密機械人民所有企業) として「軍需用光学製品の扱い企業」として再編されました。同社はザクセン州の産業管理区分に収容され、州の管理機構の監督下に置かれました。VVB Feinmechanik und Optik (光学精密機械人民所有企業連合) への編入は、さらにその後の1948年の産業別再編過程で進められたのことになります。
なおこの当時のオールドレンズのレンズ銘板に刻印さている名称は「Meyer Görlitz」です。
Dresden (ドレスデン) のカメラ産業 (Zeiss Ikon 系) は、1948年に VEB Zeiss Ikon Dresden (ツァイス・イコン・ドレスデン人民所有企業) として、戦後に残存していた様々なカメラメーカーが統合に向けて国有化体系に組み込まれました。この系列が 後に「PENTACON (ペンタコン)」名で用いられるようになるのは、実に1959年に VEB Pentacon Dresden が成立して以降の話です。
この期間に於いて、3者が同一の VVB に一括して所属していたワケではなく、それぞれ異なる管理系列の下に置かれていました・・つまり中央監督下に置かれたCarl Zeiss Jenaと、軍需用光学製品扱い企業としてザクセン州の監督下に置かれたHugo Meyer & Co.、さらに未だ国有化への統合を進める過程の中にあったドレスデンのカメラ産業と言う、それぞれの違いが混在していた時期になります。
衣食住の逼迫 ― 生活基盤の破綻と明日への途絶感 ―
1945年以降の都市生活を想像する時、例えば現在の日本で大規模震災直後に直面している状態が、1年中続くようなものです。配給で渡される主食は黒パンや芋、代用穀物が中心となり、肉や脂肪はほとんど手に入らず、慢性的な空腹が日常となります。水道は破損や供給制限のため蛇口から常時水が出るとは限らず、給水所に容器を持って並ぶことが日課となります。電力は時間制限や停電が繰り返され、夜間は薄暗い灯りで過ごし、暖房用燃料が不足する冬は室内でも息が白くなる寒さに耐えます。住居は瓦礫の残る建物の一室や地下室、屋根裏に複数世帯が身を寄せ、寝具も不足し、外套を掛けて床に横になる生活が続きます (これらの様子は全て当時の回顧録から抜粋しています)。
現在の日本で大規模震災直後に目にする光景に極めて近い状況ではないでしょうか。そのうえで、日本の震災では復旧計画や外部支援が時間とともに具体的に示されますが、占領下の都市では行政や経済の再建が途上にあり、安定した物資供給やインフラ復旧の見通しが共有されず、将来像が日常の中で示されない状態が続きます。住民は自らの工夫と限られた資源の中で生活を維持するほかなく、困難は社会構造の変化の中で長期にわたり持続しいく状況になります。
その結果、人々の意識に生じるのは「今日が明日に繋がっていない」という感覚です。配給の列に並ぶ行為は翌日の備えではなくその日の欠乏への対応であり、夜の暗がりは次の朝への連続として感じられません。水を汲みに行き、燃料を探し、寝る場所を確保しても、それは生活の回復ではなく当日を乗り切るための対処として続きます。今夜を越えれば状況が変わるという見通しが無いまま、朝を迎えても同じ不足が現れ続けるため、日々の感覚は無限ループしかイメージされません。出口に辿り着けないダンジョンを彷徨い続けているかのような感覚が重なり続けるのです。
光学産業の現場でも同じ条件が重なります。Carl Zeiss Jena の工場では生産が継続される一方で、働く人々は配給と住宅難の環境下で生活を営みます。ゲルリッツの Meyer Görlitz に於いても、工場の稼働と生活の厳しさが同時に存在し、技術者や工員は不足の中で日常を維持します。復興という言葉が掲げられていても、生活の実感は不足と制約の積み重ねとして受け止められます。つまり体制と言う変化だけが、暗雲の如くのしかかる重みとしてしか受け取られていないのが、当時の社会状況だったのです。
※この期間1948年〜1951年のレンズ銘板刻印はMeyer-Optik GörlitzまたはMeyer Görlitzです。
移動と選択の制限 ― 分断が制度から心理へと移るタイミング ―
当時のソ連 (の中央) はドイツを、戦後賠償の対象として扱うだけでなく、ドイツ全体を一つの国家として存続させたうえで中立化させ、西側軍備や基地がドイツに置かれない状態を維持することで自国西方の防衛上の危険を減らす構想を立ち上げました。同時にソ連本国は甚大な戦争被害の中にあり、人的損失と都市破壊、産業基盤の損耗が重なり、国内の復旧と体制維持が急務となります。
このため占領地域に対しては、国家機構を直ちに整備して独立国家として運営する段階には至っておらず、占領統治の枠組みの中で賠償の確保と安全保障上の条件形成だけが優先されました。
1948年、西側占領地域ではドイツマルクが導入され、価格統制の緩和とともに市場の流通が急速に回復します。配給と闇市に依存していた経済は、通貨と制度の再設計によって店頭に商品が戻り、生産と取引が再び動き始めます。この変化は、生活の実感として西側では経済の再建が進みつつあるという認識を広げました。
一方ソ連はドイツ全体を中立化し、西側軍備の配置を認めない状態を維持することを交渉の前提として扱い、自国西方に軍事的緩衝地帯を確保することを安全保障の基本方針とします。二度にわたる大戦でドイツ領から侵攻を受けた経験から、ソ連は西方からの軍事的脅威を再び受けない条件の確立を重視したのです。占領地域からの賠償搬出と統制的な経済運営が続き、占領政策は賠償の確保と安全保障条件の維持という目的に沿って進められました。
1949年5月、西側占領地域では経済再編と政治制度の整備を背景に西ドイツが成立し、経済圏と統治枠組みが明確になりました。これによりドイツの政治的枠組みが西側主導で確定していく状況が生じてしまいます。この状況を受け、ソ連側は占領統治を国家機構の確立へと移行させる必要に直面しました。同年10月にやむを得ず東ドイツを成立させます。つまりソ連本国への対処で精一杯であったことが影響して、東ドイツ成立が後手に回っていたことがこの時の過程で読み取られます。
戦後の東ドイツ側社会で人々が直面していたのは、単に生活条件の変化だけでなく、社会の仕組みそのものが再構成されていく過程に日常があるという経験です。通貨、制度、経済運用、国家としての枠組みが短期間に連続して改められ、生活の前提が日々更新されていきます。
1948年の通貨分断、1949年の国家分断、計画経済への移行、国境管理の強化といった出来事は、生活条件を直接左右する要素として現れます。物資の流れ、働き方、将来の見通しがそれぞれ新しい枠組みの中で再定義され、人々は変化の真っ只中で暮らしていました。
ここから人々の内面に蓄積していくのは「自分たちは見捨てられている」という日常の感覚です。復興の意思表示すら感じられない中央政府の環境の中で、制度だけが上から押し付けられる実感が生活の場面ごとに繰り返されます。敗戦国民としての負い目とソ連による敵国扱いの意識が重なり自分たちの生活が誰によって守られているのかを実感できない状態が続いていたと理解できます。
戦前戦中に経験した高揚の記憶との落差は非常に大きく、その反動として心理的な崩落が日常の中に広がります。朝も昼も夜も、どこにいても同じ現実を再確認する感覚が続き、状況が改善へ向かう兆しを具体的に思い描くことが難しい時間が積み重なっていたと理解できます。希望が薄いと言うよりも、ほとんど終末的な心境に近い感覚が共有され、生活は続いているにもかかわらず将来に向かって積み上がっていく実感を持ちにくい状態が広がっていたのではないでしょうか。このような心理的背景の中で社会の緊張が高まり、後に1953年の大規模な蜂起へと繋がる空気が形成されていったのです。
社会的緊張の増大 ― 職場と地域に積み重なる張り詰め ―
1950年代に入ると、生産計画の達成が職場の中心的課題として扱われ、数値目標が日常の評価と結び付きます。職場での振る舞い、発言、作業態度が周囲の視線と制度の評価の対象となり、慎重さが日常の基本姿勢となります。地域社会でも組織活動や参加が重視され、生活の各場面での緊張が積み重なっていました。
1953年6月、労働ノルマの引き上げ (10%の増加決定) を直接の契機として、ストライキとデモが東ベルリンから各地へ拡大し、700以上の都市と自治体で約100万人規模が参加しました。要求はノルマや農業政策への反発から、政府の退陣、自由で秘密が守られる選挙の実施、ドイツ統一へと広がっていきます。治安側は事態を抑え切れず同日ソ連軍が介入し、ソ連側は167の郡市区に非常事態 (戒厳) を布告し、集会の禁止と外出制限を伴う統制の下で鎮圧が進みます。死者は少なくとも55人が確認され、3週間に満たない期間で約1万人が拘束され、1955年までに約1800人が刑罰を受けた記録が残っています。蜂起の後、政府は一部の経済措置を緩和する一方で、治安機構と監視体制を強化し、職場や地域に於ける発言や行動に対する警戒が日常的に意識される状況が広がりました。公的には秩序回復が強調される一方で、社会の内部では抗議が武力で抑え込まれた記憶が共有され、国民の心理には達成感ではなく、体制に対する慎重さと沈黙の傾向が強まります。この慎重さと沈黙の傾向が続く中で、1960年代に入ると社会は監視と統制が制度として定着した段階へ移行していきました。職場と地域に於ける評価や記録が継続的に積み重ねられ、個人の行動が長期的に観察される環境が常態となります。国境管理はさらに厳格化され、1961年にはベルリンの境界線が封鎖される措置が取られ、人の移動が制度的に強く制限されます。日常生活の側では、安定した供給と引き換えに行動の自由が制約される状態が広がり、社会は外部への移動が困難な枠組みの中で運営される時代へと入っていくことになります。
蜂起の鎮圧後、国家側は社会の動揺を抑えつつ計画経済の遂行能力を確保する為、基幹産業をより明確に国家管理の枠組みへ組み込み、資源配分と生産責任を集中させる方針を強めます。光学産業に於いても、輸出価値と軍事・技術的重要性の観点から生産体制の整理が進められ、企業の役割の区分が政策的に定められていきました。
産業面では再編と統合が進みました。Carl Zeiss Jena は基幹企業としての役割を強め、Meyer Görlitz も光学産業の体系の中で生産を担い始めます。ドレスデンを中心に形成される PENTACON の枠組みは、光学機器生産を統合的に進める体制として現れます。
このように社会の表面上では秩序が回復されつつも、日常の内部には緊張だけが積み重なっていく時代だったと言えるのです。
※この期間1954年~1960年のレンズ銘板刻印はMeyer-Optik GörlitzまたはMeyer Görlitzです。
三つのVEBの変遷 ― 体制認識と操作概念の真実 ―
東ドイツの光学産業では、国家が生産と研究の方向を直接定め、その枠組みの中で各企業が役割を与えられていました。ここで重要なのは、企業が市場の競争の中で動いていたのではなく、国家計画の中で相互の役割が定義されていたという点です。この前提の上に、VEB Carl Zeiss Jena、VEB Feinoptisches Werk Görlitz (Meyer-Optik Görlitz)、そしてVEB PENTACON Dresdenの関係が形成されていきます。
東ドイツの社会主義体制下に於ける組織体系の変化は、操作概念として Umgliederung (再区分・再編)、Überführung (移し替え・移管)、Unterstellung (管轄変更) のいずれか、あるいは組み合わせで記述されます。この段落では詳細な制度説明を文章にせず、組織体系の変遷が戦後~1950年代、1960年代、1970年代~1985年の三つに大きく区分されることを前提として、以下のチャート図を参照します。従って私達資本主義社会で通用する「吸収合併」という扱い方や概念は、当時の東ドイツの社会主義体制に於いては全く該当していません。
1960年代前半の時点では、三者はそれぞれ独立した国有企業として存在していました。Carl Zeiss Jenaは光学・精密機械分野の中心的存在として研究開発と基幹技術を担い、Meyer-Optik Görlitzは写真用レンズの設計と生産を担う専門企業として活動し、PENTACONはカメラの製造を担う企業として運営されていました。すなわち、カメラとレンズは別の企業に分かれて存在していました。
しかし国家側から見ると、この分離は計画運営上の課題を生みます。製品仕様の調整、資材配分、輸出計画、品質管理が複数の企業に分散するため、計画の実行に時間差や調整負担が生じます。とりわけ写真機産業は輸出を担う重要分野であり、仕様変更や生産量の調整を迅速に行える体制が求められました。
このような事情から、国家は写真機と写真用光学を一つの産業単位として扱う方向へ進みます。ここで用いられた制度が Kombinat (コンビナート) 制です。Kombinatは同一分野の企業をまとめ、生産計画と資源配分を一体として扱うための企業連合体であり、分散していた機能を一つの管理単位の下に置く仕組みでした。
ここで国家側の指示命令の経路を明示します。個々の企業 ( VEBやKombinat ) に対して、生産計画や方針を示す上位機関として省庁 ( Ministerium ) があり、その下に分野別の調整機構としてVVB ( Vereinigung Volkseigener Betriebe ) が置かれる時期があります。
1965年にはCarl Zeiss Jenaが光学分野を束ねるKombinatの中核企業として位置づけられ、国家の産業編成上の決定としてその役割が定められます。これは企業内部の自然な役割変化を指すのではなく、国家による組織編成の措置として、光学技術と関連企業を統括する位置が与えられたことを意味します。
続いて1968年には写真機産業の側でも再編が進み、PENTACONを中心とするKombinatが形成されます。この再編は、国家計画の中で写真機および写真用光学機器の開発・生産・供給を一元化する方針に基づき、カメラ製造とレンズ製造を同一の産業単位にまとめる目的で行われました。さらにその背景には、輸出製品としての品質統一、限られた資源配分の効率化、開発工程の重複回避、生産責任の明確化という意図がありました。
ここで重要なのは、VEB Feinoptisches Werk Görlitz (Meyer-Optik Görlitz) が消滅してしまい、Kombinat PENTACONに取り込まれたのではなく、企業として存続したまま、所属する上位組織が変更されたという点です。ここで注意すべきは、私達がイメージしやすい法的主体が統合される「吸収合併」に相当する措置ではなく、国家の産業編成に於ける所属変更と言う側面です。これは前述した Umgliederung (再区分・再編)、Überführung (移し替え・移管)、Unterstellung (管轄変更) この中のいずれかが個別に、或いは複合的に同時、もしくは段階的に実施されていく中で改変されていく工程を経るため、常に流動的な編成との認識になり、その時代に中央が求める形態として運用できるよう変遷していったと捉えられます。同様にPENTACONも別企業に吸収されたのではなく、国家の産業体系の中で上位所属が変わっていく形態を取っています。
その後1970年代後半には、写真機産業側では、指示命令の経路が「省庁 → VVB → Kombinat」から「省庁 → Kombinat」へ移る措置が取られます。
1980年代に入ると、Kombinat PENTACON は Kombinat VEB Carl Zeiss Jena の下に置かれる形となりますが、これも企業の消滅を伴う合併ではなく、上位管理体系の変更でしかありません。しかもその際には配下に VEB Feinoptisches Werk Görlitz (Meyer-Optik Görlitz) を伴ったままでした。
このように見ていくと、Kombinat Carl Zeiss Jena は光学分野の中核として上位に位置し続ける一方で、Meyer-Optik Görlitz と Kombinat PENTACON は国家の産業編成の中で所属する上位が変化していったと理解できます。
なお、そもそも戦後の最初の2ヵ年計画以降、ソ連本国にほぼ同調するカタチで5ヵ年計画に沿って進められていた (一時期に計画が頓挫し7ヵ年計画に修正された時期もあり) ことは、他の産業工業分野でも全く同一です。
またレンズ銘板に戦前初期にはMeyer Görlitzと刻印され、戦後にはMeyer-Optik Görlitzとの刻印で製品が流通していたものの、企業体の名称は、1946年以降正式名称として VEB Feinoptisches Werk Görlitz が一貫して用いられ続けていたのです。
Meyer-Optik Görlitzへの吐露 ― 高揚と奈落を示す実証としての一本 ―
このブログページはMeyer-Optik Görlitz一極主義の内容です。Carl Zeiss JenaもPENTACONも、Meyer-Optik Görlitzを惹き立てるための脇役です。戦前戦中のドイツ国民が到達した高揚のピークを理解するには、プロパガンダではなく、人々が日々の暮らしの中で感じ取っていた生活の実感から語らなければなりません。その高揚の象徴として、当方は歴史映像にあるヒトラーの車列の光景を外せません。ヒトラーの車列に老若男女の群衆が群がり、車を追いかけ、門の奥にまで入っていってしまった、あの白黒映像です。傍から見れば『狂気』です。しかし当方にはそれは第一次世界大戦の敗戦と大恐慌という長い暗いトンネルを出た後に浴びている陽射しを肌で感じ取っているドイツ人の歓喜の瞬間であり、だからこその社会規模での「高揚のピーク」なのです。高揚のピークが人間の尊厳の中でどこまで狂気に到達するのかという話なのです。当方はナチズムを正当化しません。戦争も認めません。民族抹殺も認めません。当方がここで語っているのは賛否ではなく、高揚のピークが人間の感情をどこまで押し上げてしまうのかを語っています。
そしてその高揚の軸は、当方の中ではMeyer-Optik Görlitzに重なります。戦前に於いてMeyer-Optik Görlitzは、少なくとも当方が惹きつけられるだけのチカラを持ち、Carl Zeiss Jenaと肩を並べた高揚の側に居た光学メーカーでした。ところが戦争で運命が狂い、戦後にはPENTACON (カメラ製造) の配下に成り下がったという屈辱へと堕ちます。さらに1990年以降の再建に当方は希望を抱きましたが、当方の記憶では、再建に奔走していた中心人物が交通事故死したという短い日本語記事を読み、希望が潰えたと感じました。さらに後に別のスポンサーにより復活ブランドとして動き出した後も、2018年には運営会社が破産手続に入るという現実を目の当たりにしました。だから当方には、Meyer-Optik Görlitzは悲運であり、呪われているとしか受け取れないのです。
ここで当方の話は、ようやく手元の一本に収束します。製造番号から1955年製と確認できるPrimoplan 58mm f/1.9 V (M42) は、確かに時代は違えども、間違いなく当時のドイツ人の手によって造られた「Meyer-Optik Görlitzの高揚と凋落」の時間を背負った忘れ形見なのです。くたびれたオールドレンズを整備して活かす方向へ向けるのは、もう一度活躍の場を与えたいからではありません。当方の感謝の思いです・・その時代、その時の様々な人達の思いが詰まっているのがその個体だからです。整備は代金の対価として行いますが、この文章は代金に含まれていません。それでも当方がこのように長く、本当に長く綴るのには、個体が背負ってきた苦渋の時間に対して当方が代弁したい思いが重なっているからなのです。整備が済んだ個体がご依頼者の掌に戻った時、整備に出す前よりも数倍の慈しみの思いに増してほしい・・それが当方のせつなな思いの吐露であって、この逸本に当方が贈る最後の言葉なのです! それは当方の整備の対応能力が、せいぜい10年だからです。もう次の整備には立ち会えません・・きっとまだまだ歴史を紡ぐことになるはずなのです。そのように少しでも長くできたのなら、それだけで本望なのですッ。
・・Meyer-Optik Görlitzに、栄光あれ!(祈)
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戦前の初期は Hugo Meyer & Co. Görlitz と呼ばれ、戦後は VEB Optisch-Feinmechanische Werke Görlitz と呼ばれてVEBの最小単位としてのみ活動を続け、最後には Kombinat PENTACON というカメラメーカーの配下にまで成り下がり (1968年)、戦前にCarl Zeiss Jenaと肩を並べ競い合っていた姿をついに再現できないまま、1990年東西ドイツ再統一を迎えました。当方は長い間1968年時点でKombinat PENTACONに吸収合併されていったと受け取っていましたが、今回の探索でようやく真実を掴みました。そもそも旧ソ連の体制主導による社会主義体制下に於いて、搾取と再配分と言う循環型サイクルの中にあって「吸収合併」という概念そのモノが存在しないことを学びました。もちろん最小企業体の単位は「VEB (人民所有企業)」なので、wikiなどで語られている、中国での呼称に該当すべき「人民公社」などとの単位でも、決してありません!ちゃんと学んだ為、まるで概念も単位としての扱いも、別次元の話であったことが分かりました。その意味で、当方も含めネット上の情報だけに頼っているのにも限界があるのだと理解しました。
・・いろいろな部分で、捉え方が間違っていたことを反省する次第です、go・men・na・sai!
1990年10月3日に東西ドイツの再統一が成立した後、旧VEB Feinoptisches Werk Görlitz の設備と人員を基盤にして、Feinoptisches Werk Görlitz GmbH が 1991年頃 に設立されました。この会社が旧来設備を用いた光学製品の生産を行いましたが、1990年代後半に精算 (実質的消滅) していたことが掴めました (旧東ドイツ企業体の市場競争力不足と資本不足が主要因)。しかし2014年にドイツ企業であるnet SE (旧net AG) をスポンサー企業体として、クラウドファンディングにより再建され、新生「Meyer-Optik Görlitz」がついに再出発しました。
長らく開発と生産を続けていたものの、2018年に破産しています (急速な事業拡大による財務負担と資金繰り悪化)。事業を買い取ったのが現スポンサー企業体である、同じドイツの企業体OPC (Optical Precision Components Europe GmbH) です。現在もMeyer-Optik Görlitzブランドを継承しつつも、実はCarl Zeiss Jenaの「Biotarシリーズ」まで独自に復刻しています。
※URL=https://www.meyer-optik-goerlitz.com/
例えば2018年に発売された第2世代のPrimoplna 58mm f/1.9 II は、2014年に復刻として発売されたnet SE時代のモデルから、劇的に変化した更新モデルなのが分かりますから、現代に於いても進化し続けていることが伝わってきます。
この時、明確な企業体の性格がチラホラと垣間見えるのは、2014年のnet SE時代の主体は、まさに旧来のMeyer-Optik Görlitz再建を主体としていた熱量を感じ取りますが、一方で現OPCはあくまでそれら再建後のモデル資産を継承しつつ、モデル更新を行う姿勢という違いが理解できました。つまり単なる継承企業との咀嚼だけで済んでしまう話ではなく、それぞれの狙いと歴史の中での役目の違いが浮き彫りになっていると、当方は受け取りましたが、皆様にはどのように映っているのでしょうか・・。
いずれにしても、戦前〜戦後〜消滅〜再建〜破産〜再起という紆余曲折を経てきたMeyer-Optik Görlitzの匂いは、間違いなくその描写性に継承され、現代に残されていることが「Primoplan 58mm f/1.9 II」の描写にも印象できました。これは1990年代に小さなニュース記事で、旧東ドイツ時代に Meyer-Optik Görlitz に在籍していた、高齢な設計技師を中心に復活に奔走した中心人物の交通事故死の訃報に接した時の、その落胆と言ったら語り尽くせない思いだったのを今も記憶しており、その時に心底Meyer-Optik Görlitzは「呪われている」とすら感じ入ったほどですから、その根底には、それほど復活再生を期待していた思いがあったのだと自己分析しています。
このように現在に於いて復刻させている光学メーカーはいくつもありますが、旧来の描写性に主体を置いて、真正面から「真の復刻 (それを当方は再生と呼ぶ)」にこだわりを持つオールドレンズのモデルは、実はそう多くないのではないかと思ったりします。つまりブランド銘だけを継承しているモデルが氾濫している中で、真に正統と定義できるほどのパワーを備えている再生モデルは・・実は本当に数えるほどしか現れていない・・というのが本当なのではないでしょうか。
そうなると、1955年製の今回扱うPrimoplan 58mm f/1.9 V (M42) への思いが、またひとしおに募り、現在に息づきを残していると知れば、むしろ「祖としての写りを知りたい!」との思いが湧いてしまうのも、実は自然な「人情」ではないかと思うのです。それは敢えて現在にもなお繋がっているからこその系統樹の遡りを体験できる話であり、そのようなオールドレンズのモデルは、非常に少ないのだと思うのです。
ところがこの「祖としての写り」と言うには前提があり、同じPrimoplan 58mm f/1.9にしても、戦前と戦後モデルとでは、同じ光学システムを継承していながらも、その実は写りが異なると言う事実に留意が必要なのです。それはピント面の表現手法も、もっと言うなら背景ボケの残し方すらまるで傾向が異なるので、本当に「写りとしての系統樹を辿りたい」のであれば、自然に目の前には「戦前モデル、戦後モデル、そして2018年モデル」の3本が並ぶべきというお話を、今語っています。するとこの3本の性格が違うことに理解が必要になり、戦前の長男がやはりしっかり者で、何事もバランスよくそつなくこなしたい性格がみえてもなお、次男のほうが活力溢れる写りを愉しませてくれる中で、実は末っ子は女の子であり、繊細感漂う中にも芯の強さが残ると言う、二人の兄の性格を眺めつつもその良い面を備えたかの如く振る舞う、その気高さに、また感じ入る思いしか湧かないのがなんとも悩ましいのです・・。
・・オールドレンズ、なかなかに、なかなかですねッ。
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↑上の写真はFlickriverで、このオールドレンズの特徴的な実写をピックアップしてみました。
ピックアップした理由は撮影者/投稿者の撮影スキルの高さをリスペクトしているからです。
(クリックすると撮影者投稿ページが別ページで表示されます)
※各写真の著作権/肖像権がそれぞれの投稿者に帰属しています/上記掲載写真はその引用で
転載ではありません。
❶ 一段目:円形ボケ
先ず最初に並べた実写は「戦前モデル」に限定した写真だけをピックアップしており、その中からこの段では円形ボケが滲んで溶けていく様子を左から順に並べています。
❷ 二段目:収差ボケ
次にこの段では一段目で円形を維持していた円形ボケがさらに破綻して収差の影響を受けながら、溶けていく様子を左から順にピックアップしています。二線ボケになるかどうかといったところで溶け始めてしまうので、背景ボケは適度な輪郭感を残しながらも自然に溶けていく印象が残ります。
❸ 三段目:人物と動物毛
ここでは人物写真と動物毛の表現性をチェックする意味でピックアップしています。実は戦後に登場したMeyer-Optik Görlitz製モデルの他の焦点距離のモデルの中で、当方的にどうしても納得できない描写性の要素があり、それはのっぺりした印象の「立体感の低さ」なのですが、このモデルPrimoplan 58mmシリーズに関してのみ許せる範疇をキープできているのです。動物毛の表現性は何とか許せるものの、人物写真だけは他のモデルはどうにも受け入れられない中で、このモデルだけは許容範囲内なのです。ポートレートレンズに比べると標準レンズ域のモデルのほうが苦手なのは理解できるものの、そこに立体感を失うと人肌感まで消えてしまうようでどうにも困ります。
PrimoplanシリーズはMeyer-Optik Görlitz製モデルの中にあって、まともに自分写真を残せるモデルなのではないかと評価しています。
❹ 四段目:質感
ここではちょっと分かりにくい実写しか掲載されていなかったのですが、ギリギリ被写体の材質感や素材感を写し込む質感表現能力をチェックする意味合いでピックアップしてきています。とは言ってもせいぜい確認できそうな写真は3枚目のガラスの質感程度で、他は少々難しい写真ばかりです。雰囲気感としては1枚目の写真も十分語れるのではないかと思いますが、Meyer-Optik Görlitz製オールドレンズにとっては苦手な要素なのがこの質感表現能力ですから、特にガラス容器などの表現性も、他の焦点距離のモデルになるとまるでガラスの感じが残せません・・。
❺ 五段目:発色性
この段は単純に草花の発色性だけをチェックする目的でピックアップしています。実はこの後の、「戦後モデル」の実写と比較するととても良く分かるのですが、悪い意味ではなく「真面目に写真を残すモデル」とでも表現できそうなのがこの「戦前モデル」なので、或る意味そつなくこなしてしまう結果、ここで次の「戦後モデル」との嗜好が大きく分かれるのではないかと思います。
この「戦前型」はどちらかと言うと、この後で主体的に探索しますが、やはり光学設計としての系統「トリプレット型」の素養が見え隠れする印象が強く、おそらくは球面収差とコマ収差補正に追求を試みた結果の写りのように見えてなりません。
↑今度は「戦後モデル」の描写性についてチェックしていきます。
❶ 一段目:シャボン玉ボケ
「戦前モデル」同様に最初はシャボン玉ボケから調べていきます。実は15年前、当方が初めてオールドレンズの整備を始めてブログに載せるようになった時、一番最初にこだわりを見せていた要素が「シャボン玉ボケ」でした。当時はまだバブルボケとの呼称が主体だったように印象していますが、それほど注目を浴びていなかった領域でもあります。そこでこのバブルボケに「滲み方の癖に種類がある」点に着目し「シャボン玉ボケ → 玉ボケ → 収差ボケ → 背景ボケ」と段階的に円形ボケ (これらの総称) を分類して呼び始めました・・ッて言うか、当時円形ボケをこのように分類分けして呼称していた人は、ほとんど居なかったのではないかと思います。
シャボン玉ボケが本来得意なのは、Trioplan 100mm f/2.8のほうが圧倒的に鋭くも繊細なエッジを伴う、まさにシャボン玉ボケが表出して一目瞭然です。㊨写真がまさにそのTrioplan 100mm f/2.8による、圧倒的なシャボン玉ボケの表出を特徴的に表す実写であり、このように明確にエッジ表現を伴いつつ繊細なシャボン玉ボケを残してくれます。
これは焦点距離が100mmなので、このように大きく明確なエッジが現れますが、標準レンズ域のPrimoplanのほうは意図的に撮影するには少々難しいでしょうか。当時は (今も相変わらずかも知れませんが) このようなシャボン玉ボケのみならず玉ボケや他の円形ボケなどまで含め、総称的に「バブルボケ」と呼ばれていたのです。当方はそれが気に入らず(汗)、エッジが滲み始めると内部の中心に向かって均質に塗り潰れていく円形ボケを分けて分類し「玉ボケ (別名イルミネーションボケ)」と呼称していました (上の実写の左から2枚目)。
さらに収差の影響を受けて滲み方が進んでいくと今度は「収差ボケ」と呼ぶ微かに円形ボケの要素を残しながらもワサワサと溶けていく感じだけを、やはり分けて呼称していたのです (上の写真の2枚目 → 3枚目辺りの写り方)。この円形ボケの要素が残っている場合の次に来るのが、次第に収差の影響度合いを増した結果の写り具合で、次の段へと変わっています。
❷ 二段目:収差ボケ
この段ではシャボン玉ボケから始まる円形ボケの滲み方に「円形ボケ」の要素を失っていった後に現れる、収差の影響による汚い (不均質な) 乱れた滲み方を指して「収差ボケ」と分類しました。
このモデルでは光学設計から来る均質性の特徴から秩序だった滲み方へと向かうので途中で「グルグルボケ」の傾向が現れるものの、最終的には (収差の影響よりも) 溶けるほうが早まりトロットロボケへと移行していきます。
❸ 三段目:背景ボケ
この段でチェックしている箇所はピント面 (被写体) ではなく(笑)、実はその背景のボケ具合を確認する為にピックアップしています。左端のまだ収差が相応に残っている背景ボケから次第にトロットロボケ方向へと進んでいって、最後は右端のようにトロットロに溶けてしまいます。ところが、それは背景の話なので「ピント面の鋭さ感は残ったまま」ですから、右端のような「芸術性」の高そうな印象の画造りにもなっていきます・・。
それは次の段のピント面のエッジとの鬩ぎ合いの中で、また背景ではなく、むしろ被写体側のエッジが滲み始める別の滲み方を主題にする表現方法もあると思いますから、被写体なのか背景なのかのコントロールも、また面白いと思います。
このように円形ボケから始まる収差の影響を受けていった結果の、背景の乱れ方や溶け方に、分類を分けて呼称していた人が当時はまだまだ少なかったので、当方的にはこの円形ボケの表出を得意とするMeyer-Optik Görlitz製オールドレンズにフォーカスして、当時のヤフオクでさんざんにオーバーホール済みでの出品に勤しんだことを覚えています(笑) 今でこそ10万円代も当たり前のように受け取られている Trioplan 100mm f/2.8 V(M42) も、当時は9,000円 ~ 13,000円くらいの価格帯で、それこそ市場にいつでもゴロゴロ転がっていたことをハッキリ覚えています(笑) それほど当時はまだまだシャボン玉ボケに注目する人達がとても少なかった時代だったので、供給過多だった時代とも言いかえられるでしょう・・懐かしいですね(笑)
❹ 四段目:ピント面
この段ではボケ味から変わってピント面の表現性をチェックする目的でピックアップしています。光学設計の基本概念がトリプレット型なので、ご覧のようにピント面はカリッカリと言う追求にまでは到達しきっていませんから、何処か繊細感を漂わせつつも一段控えめな印象を残す解像感が、或る意味このPrimoplanの特徴でしょうか・・まさに光学系第2群を張り合わせてしまった効果が現れていると受け取られます。特に2枚目の実写を見ると分かりますが、写真スキルが高いとこのようにピント面のエッジに僅かな滲み効果を与えて、その繊細感を惹き立たせつつも何処か溶けていく方向性を与えた美しい描画を残せます・・これが堪らないのですね(笑) ❶ 一段目の右端のような、ワサワサした溶け方を上手く活用すると「油絵のような背景効果」も現れますから、まさに絵画的なコントロールだってしたくなってしまいます(笑) ピント面 (のエッジ) を微かに滲ませるのか背景効果を狙うのか、被写体を惹き立たせる手法に使えそうな気がしますねッ。
❺ 五段目:動物毛と人物像
前述のとおりMeyer-Optik Görlitzが最も苦手とする人物像の表現性ですが、最初は動物毛です。このように動物毛は相応に表現性をキープできるのに、人物像になると途端にノッペリしてしまい人肌感を喪失していく方向性しか残らないのが、Meyer-Optik Görlitzの悩みの種です。その中にあって「Primoplanシリーズ」だけは、光学系第2群の2枚貼り合わせの結果が、このような効果として体現できている点が素晴らしいのです。おそらくMeyer-Optik Görlitz製オールドレンズの中でここまで人肌感を写し込めるのはこのモデルだけではないでしょうか・・。
❻ 六段目:コントラスト
この段ではコントラスト表現が次に苦手な要素であるMeyer-Optik Görlitzの特徴をチェックする目的でピックアップしました。僅かに立体感はやはり喪失傾向に写りますが、それでも対応できているのではないでしょうか・・Primoplanでこれですから、他のモデルは全然ダメですッ。奥行き感を出せないと言うのは、いったいどういう光学設計が影響するのか、さらに勉強が必要です。
↑最後は「復刻モデル」の中から、2018年にOPCがスポンサーについてみたび再建した新生Meyer-Optik Görlitzから発売された「Primoplan 58mm f/1.9 II」による実写をピックアップしてきました。
❶ 一段目:シャボン玉ボケ
ご覧のように、戦後1989年までのPrimoplanと全く遜色ないシャボン玉ボケがちゃんと表出します! ここまで厳格に光学設計を追求して再現させていることに、2018年当時リリース写真を初めて観た時に鳥肌立ったのを覚えています。同じ頃、日本国内でも似たようにVOIGTLÄNDERとCarl Zeiss銘のブランドを謳って復活のような宣伝文句を拡散させていた、どこぞの光学メーカーの写真を見るにつけ、どのモデルもみな同じ写真にしか見えずに、いったいこの何処にブランドを冠した描写性の復活があるのかと、写真スキル皆無な当方にはまるで理解できなかった記憶しか残らないのに比較して、まさに新生Meyer-Optik Görlitzの衝撃的な写真に、寒くなるのを感じたほどでした。しかも現代の硝材を巧みに組み合わせた結果が如実に現れており、鮮明、且つ繊細なエッジを伴う解像感の高さが、違和感なく完成している点で、真面目にPrimoplanの4群5枚を追求してしまったのだと、当時は全く分からなかったものの、今は少なからず光学設計の素晴らしさを、ひしひしと感じ入っているところで御座いますッ。
❷ 二段目:背景ボケ
背景ボケの滑らかさ、溶けていく印象が別次元にブラッシュアップされているのが明確に分かります。しかもエッジの太さがまた一段と細くなり、しかもそれを誇張させていないことがオドロキでしかありませんッ。これがもしも誇張的に残ると、前述の日本のどこぞの光学メーカー製品の如く「ただただ単に冷たい画になるだけ」で、緻密だけがベストみたいな印象を当時抱いたのを今も覚えています。それに比べると、同じ現代に再設計された復活光学系なのに、ちゃんと始祖の写りを継承していることに「やっぱり、やればできるんだ!」と初めて確信を得たような感動まで感じたのを忘れません。その意味で言うなら、まるで新規開発で新しい設計ジャンルとして現れた光学設計を実装しているモデルなら、それは納得できますが、少なくともVOIGTLÄNDERやCarl Zeissの銘玉ブランドを冠していながら、どのモデルも皆同じように冷たく一律に見えてしまう時点で、結局はブランド力に頼って「その光学メーカーの写りばかり見させられているだけ」と、即座に結論づけしてしまったのすら、今も記憶に残っていますね(笑) しかも市場にまでゴロゴロと、いつでも出回っている時点で、きっと飽きてしまう人達が居るのだろうと、変に納得感を得たことまで覚えています。もしもPrimoplanがそのように堕ちていたら、怒りしか残らなかったでしょうが、本当に救われた思いでいっぱいです・・。
❸ 三段目:もはやマクロレンズ・・
「戦後モデル」では、最短撮影距離:60cmでしたが「復刻モデル」では50cmにまで短縮化された結果、ご覧のように「もはやマクロレンズ」と言う勢いの写りです。それでも何処かにトリプレット型からの発展系たる匂いが残っているように思ってしまうのは、褒め過ぎなのでしょうか(笑)
・・これはこれで揃えたくなるモデルです!(怖)
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以上、先に各世代「戦前モデル ~ 戦後モデル ~ 復刻モデル」別に互いに近い要素で括って、描写性の違いを確認できるようピックアップしてみましたが、如何でしたか。もう少し万遍なく様々な要素で拾ってこられるかと期待していたのですが、写真の掲載者が限られているため、撮影パターンも近似してしまい、なかなかほしい要素がなくて絞られてしまいました。その中でも特にやはり「戦後モデル」だけは、英語圏で「アートレンズ」と呼ばれるだけあって、まさに腕の見せ所のような競い合いが感じられる実写ばかりで、楽しい限りです。ちゃんと個性さえ理解してしまえば、人物撮影にも十分対応できるモデルなので、却って背景効果を活かす手法にもバリエーションが期待できて使えそうな気がしますが、どうなのでしょうか・・。
ここからはこれら実写を把握した上で、どうしてこのような写りを残せるのか、その真髄について探求を深めていきたいと思います。
この「Primoplan 58mm f/1.9 V (M42)」が実装する光学系を、当方は4群5枚プリモプラン型光学系と呼んでいます。但し光学系として形態を語る実務の中には、このプリモプラン型という光学システムはありません。一方でネット上では「エルノスター型の発展系」ととても多く語られているのですが、実はエルノスター型から発展するには、どうしても一つ超えなければならないハードルがあるにもかかわらず、この点についてとても多くのサイトが語らずに知らん顔し続けています。今回はそこに着目してこのモデルの光学設計が「何から発展した (何を基にした) 光学設計概念なのか」を特定していきたいと思います・・何故なら、その概念こそが、まさにこのモデルの性格を明確に語っているからです。ちなみにその要素は、後ほど解説します (今はわざと隠します)。
エルノスター型と言えば、つい先日扱ったゾナー型の光学設計を開発した超有名人「Ludwig Jakob Bertele (ルートヴィッヒ・ヤコブ・ベルテレ)」が、1924年に発明した光学設計です。1924年時点でベルテレが開発したエルノスター型光学系での最大f値は「f/1.8」想定まで発明していましたから、まさにオドロキでしかありません!
それではここから少々長くなりますが、全部で「5つの特許出願申請書」を時系列に追うことで、最終的なプリモプラン型の光学設計を特定し、今回扱う個体から取り出した光学ガラスレンズを実測した測定値を基に具体的な描写特性への影響を探っていきます。
次に示すのは、プリモプラン型光学系の光学設計概念に於ける『原点』です!
←『GB189322607A (1893-11-25)』英国内務省宛て出願
Harold Dennis Taylor (ハロルド・デニス・テイラー) 発明
この1893年に提示されたトリプレット型の補正思想は、以後の写真レンズ設計に於いて基本骨格として繰り返し参照され、テッサー型、エルノスター型、ゾナー型、さらには多数の標準レンズやプロセスレンズに至るまでの、非常に広範な設計展開を生み出す源泉となりました。
GB189322607A この発明の核心 ― 3枚構成による新しい補正思想 ―
この特許出願申請書で言う正レンズ ( 中央が厚く周辺が薄い形状を基本とし、代表例として両凸レンズや正メニスカスレンズのように入射した平行光線を一点へ収束させる屈折力を持つレンズ ) と負レンズ ( 中央が薄く周辺が厚い形状を基本とし、代表例として両凹レンズや負メニスカスレンズのように入射した平行光線を外側へ発散させる屈折力を持つレンズ ) を基本要素として光学システムが構成されています。
この発明は、ハロルド・デニス・テイラーが示した三枚構成の写真レンズであり、二枚の正レンズと中央の負レンズから成るトリプレット型 ( 三枚のレンズで像面湾曲・色収差・球面収差などを総合的に補正する構成 ) を基礎にしています。目的は、従来の多枚数で複雑なレンズに頼らず、構造を簡潔にしながら高い結像性能を得ることです。
外側の二枚は低分散ガラス ( 光の色ごとの曲がり方の違いが小さい硝材 ) で作られた正レンズで、中央にはフリントガラス製の負レンズが置かれます。この中央レンズが補正レンズとして働き、レンズシステム全体の収差補正の中心になっています。つまりこの光学設計は絞り補正 ( 絞り位置によって像面湾曲や収差が変化する現象 ) に依存しない思想に基づいています。
中央の負レンズの焦点力が、外側二枚の正レンズの合成焦点力にほぼ等しくなるよう設定され、これによって像面湾曲 ( ピント面が平面にならず曲がる現象 ) と非点収差 ( 縦方向と横方向でピント位置がずれる現象 ) の補正が主として中央レンズに担われているとの説明ができます。
この発明の補正原理 ― 絞りに頼らない像面制御 ―
従来の写真レンズでは、像を平坦にするために絞り位置を利用する方法が一般的でした。テイラーはこの方法を用いず、レンズ自体の屈折力配分によって像面を平坦に保つ原理を採用しています。
正レンズと負レンズを組み合わせると、それぞれが持つ曲率誤差 ( 像面の曲がりの傾向 ) が大きさは等しく符号が反対になるよう設計されており、互いに打ち消されます。その結果、視野全体にわたり平坦で非点収差の少ない像が得られるという概念に立っています。
この考え方は二枚構成でも説明されますが、歪曲収差 ( 直線が曲がって写る現象 ) や用途制約が生じるため、正レンズを二つに分け中央に負レンズを配置する三枚構成が採用されています。これが「トリプレット構成の基本形」です。
各レンズの役割 ― 補正機能の集中 ―
中央の負レンズは次の三つの補正を同時に担っています。
▪像面の平坦化と非点収差補正
▪色収差 ( 色ごとのピントずれ ) の補正
▪球面収差 ( 周辺光線と中心光線の焦点差 ) の補正
外側の正レンズは主に像を結ぶパワーを担い、中央レンズがそれらの誤差をまとめて調整します。この配置により構造は単純でありながらも高性能が実現される道理なのです。
設計手法 ― 数値仕様による再現性 ―
仕様書では光学ガラスレンズの屈折率 ( 光がどれだけ曲がるかを示す数値 )、曲率半径 ( レンズ面の曲がりの強さ )、レンズ厚、空気間隔を焦点距離の分数として提示し、任意の焦点距離に拡張できる方法が示されています。これにより同一設計思想を保ったまま異なるレンズを製作できます。
さらに中央レンズを分割する構成、複合レンズ化する構成、広角用途や複写用途への応用例、高速ポートレートレンズの具体仕様などが提示され、理論と実用が一体として示されています。
実施例と図面 ― Fig.1 ~ Fig.9 の意味 ―
◯ Fig.1:
対称トリプレットの基本形が示され、等倍複写用途において正レンズが相似形となり、中央に表裏面で等凹の負レンズを置く構成が説明されており、絞り補正を必要としない条件が示されています。
◯ Fig.2:
各レンズが絞り補正の影響を受けないよう設計された別形状のトリプレット型が示され、平行光の条件下での挙動が説明されています。
◯ Fig.3:
正レンズと負レンズのパワー配分が異なる場合の構成が示され、平行光線用設計の例が説明されています。
◯ Fig.4:
中央補正レンズを複合レンズにすることで、球面収差低減と全長短縮を図る構成が示されています。これは広角化への可能性が述べられていることを示しています。
◯ Fig.5:
負レンズを二分割し、その間に開口を置く構成が示され、補正自由度を高める方法が説明されています。
◯ Fig.6:
正レンズを二分割し中央に負レンズを置いたトリプレット型原理の完成形が示され、複写用途と遠景用途の両立が説明されています。
◯ Fig.7:
開放値 f/3.7 のポートレートレンズの具体的仕様が提示され、ガラス種別、屈折率、分散、曲率半径、間隔、調整方法が掲示されています。
◯ Fig.8:
開放値 f/5.65 の広角寄りの仕様が提示され、非対称配置と用途適合が説明されています。
◯ Fig.9:
中央負レンズを二枚に分割した完全対称構成が示され、設計自由度と収差制御が説明されています。
歴史的意義 ― トリプレット型が残した設計自由度 ―
この特許が示した意義は、単に三枚で写るという話ではなく「写真レンズ設計に於ける補正思想そのものの置き換え」にあります。従来は、像面を平坦化する作業の中心に絞り補正が置かれ、絞り位置の選び方と光線束の制限によって、像面湾曲をなだらかに見せる設計が主流でした (例えばペッツヴァール型や初期アナスチグマート系に見られる考え方)。テイラーはこの枠組みを外し、像面湾曲と非点収差を消す責務を、中央の負レンズに集約させました。負レンズの焦点力を二枚の正レンズ合計に近づけるという規則は、この集約を成立させるための骨格になっています (この規則は後年のテッサー型や多くのトリプレット派生標準レンズ設計に通用しています)。
ここで重要なのは、中央の負レンズが単なる補助ではなく、像面湾曲と非点収差の補正を成立させるための主役になっていることであり、外側二枚の正レンズは「像を結ぶための基本パワー」と「色収差と球面収差の条件づくり」に専念できるようになった点です (この役割の分担は、後にはエルノスター型やゾナー型に於いて中央部に補正責務を置く思想として明確に現れています)。外側二枚が担う役割が明確化され、中央一枚が担う役割も明確化されたことで、設計者が扱うべき条件が整理され、以下の設計変更が行いやすくなります (後年のダブルガウス型系標準レンズでも内部に同様の役割分担が見出せるのです)。
第一に、焦点距離を変える設計が容易になります。曲率半径、厚さ、空気間隔が焦点距離の分数として与えられるため、同じ原理を保ったまま異なる焦点距離に展開でき、製品系列の設計が可能になります (この発想はクック・トリプレット型系列の量産レンズ群や各社のテッサー派生モデルでも実際に運用されました/確認済)。
第二に、用途別の展開が可能になります。等倍複写を出発点として、遠景撮影へ適用する際に中央の負レンズや空気間隔を調整する手順が示され、複写、拡大、投影といった用途の範囲を同一原理で扱えます (実際に複写用トリプレットやプロセスレンズ、さらにはテッサー系プロセスレンズにこの思想が反映されています)。これは、特定用途の専用設計に限定せず、同一骨格から用途違いの派生を作る発想そのものと指摘できます。
第三に、レンズ枚数を増やす以外の道が開かれます。従来の高性能化は、レンズ枚数の増加によって個別補正を積み上げる方向へ傾きがちでした。しかしトリプレット型は、三枚という最小単位に於いて補正を完結させる方法を提示したため、後年の設計者は、まずこの骨格で性能を成立させた上で、必要に応じて中央を複合化したり分割したり、外側を分割して新しい自由度を得るという発想へ進めます (この延長線上にテッサー型の後群接合化、エルノスター型の高速化構成、ゾナー型の空気面削減設計が位置づけできるのです)。Fig.4 や Fig.5、Fig.9 に示される変形例は、その自由度を設計段階で明示していたものと理解できます。
第四に、後年の多数の設計に共通する「基礎骨格」として機能します。トリプレット型は、像面補正を中央の負レンズへ集約し、外側二枚で像形成と他収差条件を作るという役割分担を確立しました。この役割分担は、その後の多くの写真レンズに於いて、枚数が増えた後も消えません (三群の構造を内部に持つ標準レンズ、テッサー型、エルノスター型、ゾナー型、さらには多くのダブルガウス型派生の光学設計に、そのような痕跡が確認できます)。三枚で成立する骨格が一度提示されると、後年の設計者はそれを出発点として、速度を上げる、画角を広げる、周辺性能を上げる、鏡筒を短縮する、といったそれぞれの要求や課題に応じて構成を変形できます。つまり「トリプレット型は単独のレンズ型の光学設計として完結してしまうのではなく、後年の設計者が、新しいレンズシステムを考える際の『出発点』となる基本構造」として機能していると解説できるのです。
総 括 ― 新機軸としてのトリプレット (材料革新と構造思想の統合) ―
1893年に提示されたトリプレット型は、単に三枚のレンズを配置した一つの形式の提示ではなく、光学設計という営みそのものの進め方に対して新しい視野を開いた発明として位置づけられます。この出願に於いて示された数多くの図面群 (Fig.1 ~ Fig.9を指す) は、特定用途の最適解として列挙するために掲示したのではなく「条件が変化しても成立し続ける収差補正思想の普遍性」を具体的に示す役割を担っており、一般的な発明案件に於ける設計が固定的な形態の提示ではなく、原理の適用範囲を探る行為であることを明確に示しています。当時の多くの特許が特定の諸元や構成を保護対象として提示していた中で、複数の形態を自ら並置し、その全てに共通する収差補正観を掲示して読み取らせる構成は、光学設計を一つの完成形の提示から原理に基づく展開可能な体系へと引き上げる意図を内包していたとも指摘できます。
この発明が成立した背景には、当時急速に実用化が進んでいたイエナ系新種光学ガラスの存在があります。バリウムクラウン、ボロシリケートクラウン、ならびに新しい高屈折フリント群といった材料は、従来のクラウン/フリントの組合せでは得られなかった屈折率と分散の組合せを設計者に提供し、収差補正を従来とは異なる配置で実現する可能性を現実のものとしました。材料の進歩を単なる性能向上の手段としてではなく、補正の考え方そのものを再構築する契機として捉えた点に、この発明の本質があります。
さらに注目すべきは、三枚の正負配置が示されているとしても、それが三枚という枚数そのものに拘束される設計ではないという理解が読み取られる点なのです。光学設計の実務に於いては、単一のレンズ要素は、必要に応じて二枚以上に分割され得ることが共有された前提であり、分割によって新たな自由度が得られます。前方の正レンズが複数要素へ展開され、後続要素が接着構成を取ることは、補正思想の連続的な展開として自然に位置づけられます。この視点に立つと、前玉の分割や要素の結合 (接着) によって群構成が変化しても、役割分担が維持される限り同じ思想の延長線上に置かれることが理解できます。
この構造的理解は、トリプレット型を三枚で完結する閉じた形式としてではなく、各要素の役割分担を保ちながら群構成を拡張していくことを許容する設計原理として捉える視点を与えます。中央の負レンズ (両凹レンズ) が像面湾曲と非点収差の補正の要として機能し、外側の正レンズが像形成条件と他の収差条件を整えるという役割配分が維持される限り、構成は柔軟に変化し得ます。この役割配分の保持が、後続の複雑な光学系へと発展する際の確かな指針となりました。
また、この発明は理論的整理に留まらず、製造や運用を見据えた現実的な設計観を伴っています。用途の広がりへの言及は、光学系が特定用途に完結するものではなく、構成要素の関係性を理解することで、条件変更に対応できることを示しています。設計を固定された形としてではなく、条件に応じて展開される体系として捉える視点が、ここに示されていることを表しています。
このようにして提示されたトリプレット型の思想は、その後に登場する高速レンズ群の基盤として位置づけられ、エルノスター型に於ける収差配分の考え方や、プリモプラン型に見られる構成展開の背後にも連続して読み取ることができます。三枚構成という単純さの中に収差補正の役割分担という概念を明確に持ち込んだことにより、設計者は複雑な光学系を構築する際にも基準となる構造理解を保ちながら発展させることができました。
そして何より、この発明が残した最大の意義は「光学設計が閉じた形式の完成を目指すだけの営みではなく、条件に応じて変化し続ける体系であることを示した点」にあります。Fig.1 ~ Fig.9 の図面群が示す多様な形態は、設計が一度確定すれば終わるものではなく、常に新たな課題に応じて再解釈され得ることを物語っています。この姿勢は、後年の設計者が既存形式を出発点として新たな構成を生み出していく際の精神的基盤となり得ました。
プリモプラン型を含む多くの後続設計が、この発明の提示した補正思想を踏まえながら、それぞれの時代的要求に応じて展開されてきた事実は、トリプレット型が単なる歴史的起点ではなく、継続的に参照される思考の枠組みであることを物語っています。高速化、描写特性の調整、用途拡張といった多様な方向への発展の根底には「役割分担という明確な構造理解」が存在しており、その原型が・・まさにここに在るのです。
この発明を振り返る時、そこに見えてくるのは単なる技術的達成ではなく、設計という行為に対する姿勢そのものの提示です。既存の枠組みに収まらない発想を具体的な実証によって示し、後続の試行を促す構造を与えたこの出願は、光学史の中で繰り返し読み返され続ける理由を内包しているとの結論づけに到達します。当方は、このトリプレット型が示した視野の広がりこそが、その後の光学設計の多様な展開を可能にした根源であると位置づけ、このテイラー発明案件の説明の結びにしたいと思います。
これによってトリプレット型を原点とする着想原点にヒントを得て、次にプリモプラン型に繋がる「経過点」たる発展へと、その概念変化を以下に辿っていきます。
←『GB186917A (1921-10-04)』英国内務省宛て出願
ERNEMANN WERKE AG在籍時
Ludwig Jakob Bertele (ルートヴィッヒ・ヤコブ・ベルテレ) 発明
負レンズ後方の空気層に於ける光束 (光線の束) を収束または平行に保つ設計によって、大口径と収差低減を両立させるという光学設計原理を提示した発明です。後にエルノスター型として具体化される高速レンズ設計の方向性と連続する「始祖的な概念の立場」との捉え方に、当方の受け取りとしては到達しています (但し記述内にそのような推移を読み取られる記載はありません)。
←『DE458499C (1924-07-22)』ドイツ特許省宛て出願
Zeiss Ikon AG在籍時のベルテレによる発明案件。
強い正の前群 (主に光を集める前側レンズ群) とそれを補正する後群の組み合わせによって高速写真レンズとして成立する具体的構成を示した発明であり、一般通念上「エルノスター型光学系」の形態を示す光学設計として評価されています。
つまり実際の写真用途を見据えた設計内容が、明確に示されているのです (当方の受け取りではなく、記述として示されている)。
今回の探索ではひとつ前の『GB186917A (1921-10-04)』の特許記述内容について、探っていきます (エルノスター型光学系のほうの探索はまた別の機会にします)。それはこの発明案件が後にプリモプラン型の発明概念に接続していると推測されるからです。
GB186917Aの発明概要 ― 光束制御という設計思想の提示 ―
この特許出願申請書 (GB186917A) の記述には、キネマトグラフィ (映画) の撮影、及び投影用に用いる対物レンズについて、従来型に比べて非常に大きな開口比 (レンズの明るさを示す比) を実現しながら、球面収差 (周辺光と中心光で焦点がずれる現象) と非点収差 (像が方向によって線状に崩れる現象) を小さな収差残存範囲に抑え、平坦視野 (画面全域でピント面が揃う状態) を得るための構成が記されています。
ここで示されている核心は、負レンズ (光を発散させるレンズ) の後方空間に於ける光束 (光線の束) の扱い方です。従来の対物レンズでは、この位置で光束が円錐状に発散する傾向がありましたが、この設計では、光束を収束 (軸へ向かう状態) あるいは少なくとも平行 (進行方向が揃った状態) に保つ方針が明確に示されている点です。この光束状態の変更が、大口径化と収差抑制を同時に成立させる要点として語られていると理解できます。
構成は、前部に正レンズ (光を集めるレンズ) を2枚、小さな空気層 (レンズ間の空間) を挟んで配置し、中間に負レンズ、後部に正レンズを置く4枚構成です。負レンズの前後に空気層を設けることで、負レンズ後方で光束が軸へ向かう条件が整えられており、前部2枚は比較的短い焦点距離 (屈折力の強さを示す値) を担い、負レンズは比較的長い焦点距離を持つ配置が採られていると理解できます。
大きな開口比では、前部を単レンズとして強くすると曲率 (レンズ面の曲がりの強さ) が急峻になり実用上の制約が生じるため、前部を2つの正のシステムに分ける必要があることが述べられています。そのうち少なくとも第2レンズは、メニスカス (片面が凸、片面が凹の三日月形) とされ、球面収差補正に寄与しています。さらに、負レンズ後方での収束状態を調整する際に像面湾曲 (ピント面が曲面になる現象) が増える場合には、第2正レンズと負レンズの間隔を調整することで補正する考え方が説明されています。
数値例では、開口比 f/2 に於いて球面補正された状態が示され、軸に平行な周辺光線の球面縦収差 (光軸方向の焦点ずれ) が焦点距離の0.16%、輪帯光線が0.13%、主光線 (画面位置を代表する光線) の傾斜角12°での像面湾曲量が0.18%と記載されています。つまり絞り羽根 (開口径を決める機構) と全視野にわたり残留誤差が小さい状態が具体的数値として示されているのだと理解できます。
また、曲率半径 r1〜r8、厚さ d1〜d4、空気層 l1〜l3、絞り羽根位置、使用ガラスの種類が例として提示され、焦点距離100の条件とともに各材料の屈折率 n (光の曲がりやすさ) が波長別に記載されて降り、主張の請求項では、前部2枚の焦点距離が全焦点距離の少なくとも半分以上である条件、及び第2レンズがメニスカス形状である条件が明示されています。
全体を通して読み取られるのは、レンズ形状そのものの提示に留まらず、負レンズ後方空間の光束状態を積極的に設計対象として扱うという思想が前面に置かれている点です。この記述は「大口径対物レンズ設計に於ける一つの方向性を具体的な構成と数値で示した」と読むことができると解釈しています。
従って、1921年に出願された先の特許出願申請書 (GB186917A) が示している内容は、後年 (1924年のDE458499C) で一般的にエルノスター型光学系と呼ばれる発明案件と比較した時に、光学系の「形態」そのものを確定的に提示するというよりも、光束制御 (光線束の進み方を設計対象として扱う考え方) を中心に据えた「設計原理の提示に重心が置かれていた点」に、明確な相違点があるように受け取れます。
この特許で繰り返し強調されているのは「負レンズ後方の空気層に於ける光束の状態を、従来の円錐状発散ではなく収束あるいは平行に導く」という方針です。つまり、光束の挙動そのものを調整することで大口径化と収差低減を両2枚・負レンズ・後部正レンズという4枚系が例示されますが、記述全体は特定のレンズ型式に固定する調子ではなく、補正可能性を示す枠組みとして語られている・・つまり原理節目の要素が強い発明案件であるとうかがえるのです。
一方で後のエルノスター型 (DE458499C) は、強い正の前群 (光を強く集める前側のレンズ群) と負の後群 (後側で収差を整えるレンズ群) の組み合わせによって「具体的に高速レンズを成立させる光学系構成が明瞭に提示された」特に前群の高屈折力と後群による収差整理という役割分担が構造として明確に現れています。レンズ構成としても複数枚の正レンズを密接配置し、後方で補正する典型的な高速レンズ形式の企図が読み取られるのです。
従って両者の差異は、先の特許 (GB186917A) が提示するのは「負レンズ後方空間に於ける光束条件を設計パラメータとして扱う」という原理的な視点であり、具体的な高速写真レンズ形式としての完成像を示す色合いは薄いのに対し、後年の特許 (DE458499C) は高速写真レンズとしての具体的構成と補正戦略をより直接的に示しています。言い換えるなら、前者は光束状態に着目した設計思想の提示、後者はその後に現れる高速レンズ形式としての構造的具体化と位置づけられると今回の評価で当方は確信を得ました。
さらに記述の調子にも違いがあり、先の特許では「最大補正状態にはまだ達していない」或いは「研究が進められている」といった経過工程にあることを示す表現が含まれ、補正の可能性の提示として語られているのに対し、後年の特許では実施可能な光学系としての完成度が前提に置かれている点で、明確な両者の性格の違いとして読み取られるのです。
この時間的順序に沿って眺めると、1921年段階では大口径化を支える光束制御の考え方が明文化され、1924年にはそれが具体的な高速レンズ構成として整理された、という流れとして語ることができ、実際にその直後に量産品としての写真レンズが製品化されています。
ここで一部ネット上で言及される、同じベルテレによる発明案件について語る必要が起きます。それはプリモプラン型への影響を強く与えているのは通説のエルノスター型よりも、その直後に現れたゾナー型の始祖的発明案件のほうであるとする捉え方です。
実はそこには最低限3人の光学設計者が関わっていることを前提に捉える必要があるのですが、その根底には人間の心理として「発展の中に進捗を見出す」のか「改善のほうに進捗を見出す」のかと言う、選択の課題が現れてしまったからに他なりません。今回の探索では、その真相を探る前段としてゾナー型の始祖的発明案件の探索からスタートします。
←『US1708863A (1924-12-05)』米国特許庁宛て出願
Ludwig Jakob Bertele (ルートヴィッヒ・ヤコブ・ベルテレ) 発明
三つの集光部材と一つの分散部材から成るレンズ構成に於いて、そのうち一部材を三枚貼り合わせとし、二つの接合面を色収差拮抗として機能させることで、高速化と広画角を同時に達成する設計概念を提示した発明です。この特許は後年、貼り合わせ群を中核に据えて空気面 (レンズと空気の境界面) を減らし、内部で色収差を制御しながら高速化を実現するという設計思想の原型として位置づけられ、ゾナー型の始祖的発明案件として評価されています。
US1708863A の発明概要 ― 3枚貼り合わせで高速と広画角の両立 ―
ここで扱うのは特許出願申請書 (US1708863A) の主題は、負の部材 (光を拡げる役のレンズ) を含む「三つの集光部材 (光を集める役のレンズ)」から成るレンズ構成を改良することです。配置としては、二つの集光部材が負の部材の前に置かれ、もう一つの集光部材が負の部材の後に置かれています。ここで言う部材は単レンズ (一枚のガラスでできたレンズ) でも、複数レンズの組合せでも成立します。
特許の改良点は、その部材のうち一つを「三枚貼り合わせ」で作り、外側二面だけを持つトリプレット (三枚を貼り合わせて外側に二つの面だけが現れる構造) とすることです。三枚貼り合わせの内訳は、二枚が集光レンズ、残り一枚が分散レンズ (色の広がりを作る役のレンズ) です。三枚の硝材選定と屈折率 (光の曲がりやすさ) の組合せを調整し、二つの接合面が色収差 (色ごとに焦点位置がずれる現象) に対して反対方向に作用するようにします。特許本文の言い回しでは、一方が色収差過剰補正 (補正が効きすぎる向き) に働き、他方が色収差補正不足 (補正が足りない向き) に働くようにして、互いを拮抗させています。
図面説明に於いて、Fig.1とFig.2は四つの部材A・B・C・Dで構成され、Aは前方の単一集光レンズ、Bが三枚貼り合わせ (x・y・z) の集光部材、Cが単一の分散レンズ、Dが後方の単一集光レンズです。Fig.3は三枚貼り合わせを分散部材側に含める変形例、Fig.4はFig.1のAとBの相対位置を入れ替えた変形例として示されます。つまり特許は、三枚貼り合わせをどの部材に置くかを複数パターンで示し、構造の適用範囲を広げています。
この特許が強調する効果は、高速化 (開口比を小さくして明るくする) と像角の拡大 (写せる画角を広げる) を同時に狙える点です。本文では、従来の既知構成が約40°であったのに対し、約50°の像角にできる旨が述べられています。また「ラピッド比」 (最初のレンズ直径と焦点距離の比) を改善できる、とされています。さらに、同等の出力 (ここでは像角の意味合いで扱われています) を得るのに必要なガラス量が少なくなる点が挙げられます。ガラス量が減ることは、構成が厚い場合に強く感じられる紫色光の吸収 (短波長がガラスで減衰しやすい問題) を抑えることにもつながる、という論旨で説明されているのです。
実施例として、例I (Fig.1) は開口比1:1.5、例II (Fig.2) は開口比1:1.8、像角50°が示されています。特許の本文では、便宜上この二例では二つの接合面を第2集光レンズ内に置いた、と明記され、Fig.3、及びFig.4では他の可能性を示した、と述べています。さらに、球面色収差 (光軸近傍と周辺で焦点がずれる現象) の補正について、ゾーンのない補正 (輪帯状のムラが出ない補正状態) を得るために、接合面の一対を色収差過剰の方向、もう一対を色収差不足の方向に働かせる硝材選択を行った、と書かれています。これは「貼り合わせの二面を、色収差だけでなく球面色収差の挙動も含めて扱う」設計方針を示す箇所になっており、この発明案件の性格を決めている要素ではないかと推定できます。
請求項は、三枚貼り合わせを含む部材を「集光部材の一つ」または「分散部材側」など幅広く取り込みつつ、要点として「三枚貼り合わせが二つの面を形成し、その二面が色収差に於いて互いに反対方向へ作用する」構成を繰り返し定義しています。つまり特許の核は、部材配置の細部ではなく、三枚貼り合わせの二面を色収差拮抗として機能させる設計条件に置かれています。
ここから読み取れるのは「この特許が後にゾナー型と呼ばれる系統の出発点に位置づけられるだけの構造的特徴を備えている」という点です。ゾナー型の特徴は、貼り合わせ群 (複数レンズを接着して一体化した群) を中核に置き、空気面 (レンズと空気の境界面) を減らすことで透過率を高めつつ、内部で色収差を制御する設計思想にあります。この特許は、三枚貼り合わせを一部材として扱い、二つの接合面を積極的に色収差補正へ利用する構造を明確に示している為、この点で貼り合わせ群を光学的主役に据える思想は既にここに表されていると評価できるのです。
さらに、高速化と像角拡大を同時に目標として掲げ、ガラス量削減や短波長吸収低減までの効果として言語化していることから、単なる三枚貼り合わせの提案ではなく、高性能高速レンズの体系的構築を意図した発明であることが読み取れます。つまりこの設計姿勢は、後のゾナー型が目指した方向性と重なると指摘できるのです。
従って、構成要素と補正思想の両面から見て、この特許は「ゾナー型の始祖的発明概念の出発点に位置する」と整理できるのです。結果、残念ながらFIg.2からプリモプラン型に接続する要素には、少しも汲み取られないとの結論にしか到達し得ません。
ここで実はプリモプラン型に非常に近似した光学システムの発明案件が、巷で認知されているプリモプラン型を示す特許の11年前に既に登場していた事実について言及する必要があります。何故なら、もしもそれを認めた場合、プリモプラン型の発明時点がひっくり返るからです。探索していきましょう・・。
←『DE428825C (1925-02-13)』ドイツ特許省宛て出願
OPTISCHE ANSTALT GOERZ AG在籍の
Emil von Höegh (エミール・フォン・フーグ) による発明
この特許内記述では空気間隔で分離された四分割構成を採り、第2収束系に色収差過剰補正の接合面を設けて、第3の両凹レンズと幾何的関係を与えることで、周辺照度低下を抑えながら高口径と広画角を実現する写真レンズを提示する発明と理解できます。
はたして本当にプリモプラン型の原型たる発明なのでしょうか。
DE428825C の発明概要 ― 四分割の高口径構成という設計思想 ―
この特許出願申請書 (DE428825C) 内記述では、広い画角と高い光強度を両立させる写真用レンズの構成を示しています。レンズは空気間隔 (レンズ群どうしを空気で分離する構造) によって4つの系部分に区切られます。物体側から順に、2つの収束系 (光を集める群)、単純な両凹レンズによる発散系 (光を広げる群)、そして単純な両凸レンズによる収束系が並んでいます。
既知の発明形式に於いては、像域周辺での照度低下 (周辺光量の減少) が問題とされていると語られており、その原因として、発散系である両凹レンズの像側面の曲率が強いこと、及び物体側前部群に中空の接合面 (貼り合わせ面が凹形状になっている面) が存在することが挙げられています。接合は両凹レンズに変更した形式でも、物体側前部群に過剰補正された中空接合面が残るため、問題は解消されていないとされています。
そこでこの発明では、第2収束系に色収差を過剰補正する接合面 (色ずれを逆方向に強く補う貼り合わせ面) を設け、その凹面を第3系である両凹レンズ側へ向けます。これにより、収束してくる光線が小さな入射角で接合面を通過し、第3系の表面には比較的小さな曲率を与えることが可能になります。その結果、レンズ全体の外形を過度に大型化させることなく、より広い像面を均一に照明できます。
さらにこの特許では、像側に面する両凹レンズの強く湾曲した面であっても、その曲率半径がレンズ全体の焦点距離の3分の1より大きければ十分であると明示しています。これは曲率条件を数値で規定し、実際の設計指針を与える記述であると理解できます。
具体的処方 (仕様諸元) として、焦点距離100、開口比1:1.9、画角約40°の設計値が提示され、各曲率半径、厚さ、空気間隔、硝材 (BarionおよびFlintの各種組み合わせ) が明示されます。これによりこの発明は単なる概念提示ではなく、実施可能な高口径中望遠系の具体設計として成立していることが確実視されます。
つまりこの発明の核心は、四分割構成そのものよりも、第2収束系の接合面に色収差の過剰補正という機能を持たせ、その幾何配置と曲率条件を制御することで、周辺照度低下を抑えつつ高口径を実現する設計思想にあると整理することができるのです。
その上でこれらの記述から躯体的製品概要の仕様諸元値が前提とされていることで、当時のC.P.Görzから、或いは翌年1926年に統合された先のZeiss Ikon AGから発売された量産品の存在を調べましたが、せいぜい見つけられても16mmシネレンズとしての Cinegor 50mm f/2 辺りが俎上に上がりましたが、肝心な光学系構成を特定する資料が発見できませんでした。従って、このC.P.Görzの発明案件も、直接プリモプラン型に繋がる要素としては影が薄いとの判定に成らざるを得ないのです。
従って探索の工程はいよいよ最終局面に到達し、プリモプラン型の原型であるとネット上で語られている、Stephan Roeschlein と Paul Schafter 両名による発明案件へと進んでいくことになります。この特許出願申請書の記述内容を吟味した上で、いよいよ発明概念の連続性と関連性にフォーカスして、プリモプラン型光学系の原型を特定する作業に進みゴールを目指します!
←『DE1387593U (1936-06-17)』ドイツ特許省宛て出願
Stephan Roeschlein (ステファン・ロシュライン) 及び
Paul Schafter (パウル・シャフター) 両名による実用新案特許
空気間隔で分離された4要素構成の高光度レンズに於いて、物体側収束レンズに隣接する負と正のメニスカスの接合要素、さらに両凹レンズを特定の高屈折率光学ガラスで構成し、焦点距離を自由開口径の1.8倍未満に抑えることで、球面収差・コマ収差・色収差・非点収差を補正した大口径光学系を示す内容です。
実用新案出願申請書 (DE1387593U) の中身 ― 4枚構成の骨格 ―
当方が確認した実用新案出願 (DE1387593U) は、1936年6月17日付で、Optische und Feinmechanische Werke Hugo Meyer & Co., Görlitz (Schlesien) による出願として記載されています。表題は「Lichtstarkes, viergliedriges Objektiv」で、高光度 (暗い環境でも多くの光を通す設計) の4枚構成レンズを示します。
出願書類が最初に定義する骨格は、空気で分離された4要素 (各レンズ要素の間に空気間隔がある構成) である点です。4要素のうち、最も外側の二つは単純収束レンズ (単独の正レンズで像を結ぶレンズ) であり、その次に続く内部は、負のメニスカスと正のメニスカスから成る接合要素 (二枚を貼り合わせたレンズ要素で、片方が負レンズ、もう一方が正レンズの組合せ) と、単純両凹レンズ (両面が凹の負レンズ) が置かれています。さらに配置の条件として、接合要素が物体側収束レンズ (被写体側にある正レンズ) に隣接するように置かれることが記されています。
寸法と明るさを結び付ける条件も明記されています。システム全体の焦点距離 (無限遠に合焦したときの焦点までの距離) が、物体側収束レンズの自由開口部 (有効に光が通る直径) の1.8倍未満であることが条件に含まれています。例として提示されている数値は、開口比1:1.5 (f/1.5)、焦点距離100 mm、自由開口66.7 mmです。焦点距離100 mmに対して有効口径が約66.7 mmであることを示す数値です。
材料条件も記載されています。物体側収束レンズ、接合要素の負のメニスカス、そして両凹レンズが、黄色ナトリウム光 (基準波長として用いられる黄の単色光) に対する屈折率 nd (その波長での屈折率) が1.35nd を超える光学ガラスで作られていることが特徴として示されています。表では、各光学ガラスレンズに対して nd と ν (アッベ数:分散の程度を示す指標) が併記され、例えば nd=1.657, ν=51.1 や nd=1.648, ν=33.8 といった組合せが読み取れます。
図面と記述内の数値表は仕様諸元値として対応しています。図には r1〜r9 (各面の曲率半径) が付番され、d1〜d5 (厚みと空気間隔の値) が並び、レンズ要素は L1, L2, L3, L4, L5 と区別されています。表では r の列に曲率半径、d の列に厚みや間隔、材の列に nd と ν が記載され、図示された四要素の構造が数値で示されています。末尾の「L2 ist die objektseitige Sammellinse.」という記述は、L2が物体側収束レンズであることを明示しています。
説明文では、球面収差 (同一面でも光線の通過高さで焦点位置が変わる収差)、コマ収差 (画面周辺で点像が彗星状に伸びる収差)、色収差 (波長によって焦点位置や倍率が変わる収差)、非点収差 (方向によって焦点位置が異なる収差) が挙げられています。これらを補正した既存レンズを前提にした上で、高光度のレンズ系を示すことが目的として記されています。
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なおここで少々話が反れますが、特許 (特許出願申請書) と実用新案 (申請書) の違いについて明確にします。そうしないと今回のプリモプラン型の発明案件と、量産品の出現時期に齟齬が現れるからです。
特許は発明 (技術的思想の創作のうち高度なもの) を対象にし、審査を経て登録されます。新規性や進歩性、或いは産業上の利用可能性が審査対象になります。一方の実用新案は考案 (物品の形状や構造、組合せに関する技術的思想) を対象にし、当時のドイツ制度では方式審査のみで登録される制度でした。特許のような具体的進歩性の実体審査は行われません。
従って、今回の実用新案申請書の「1936年6月17日付の書類」に「Gebrauchsmuster-Anmeldung」と明記されている以上、それは特許出願ではなく実用新案出願であるとの理解に結論づけできます。
それともう一つ。どうして数多くの特許出願申請書内記述で具体的な焦点距離で記述せずに「焦点距離:100mm」を前提にして仕様諸元値 (光学では処方と呼ぶ) を記述するのかという疑念です。
焦点距離100mmという基準 ― 数学理論から光学設計の体系へ ―
ドイツ人数学者、天文学者、物理学者である Johann Carl Friedrich Gauß (ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス) は、一次近似 (パラキシャル理論、光軸近傍の光線のみを用いて、光学系を線形近似する理論) を数学として体系化しました。ここでは、光学系の全寸法を同比例で拡大縮小すれば、焦点距離 (像を結ぶ基準となる長さ) も同比例で変化するという相似関係が成立します。複数枚レンズで構成された光学システム系も、主点 (光学系を代表する基準位置) と焦点距離で扱えることが示され、比例関係が理論として整理されました。
この理論を19世紀後半に光学設計の枠組みへと展開したのがErnst Abbe (エルンスト・アッベ) です。アッベは倍率 (像の拡大率) と焦点距離を設計変数として整理し、収差評価 (像の乱れの量を理論的に評価する手法) を焦点距離基準で扱う方法を導入しました。ここで焦点距離は単なる結果量ではなく、設計を比較・整理するための基準の長さとして扱われます。その結果「相似則理論」は「数学理論」から「光学設計理論」へと移行したのです。
この数学的相似則を、光学設計の実務体系に明確に組み込んだのが、当時Car Zeiss Jena に在籍していた Paul Rudolph (パウル・ルドルフ) です。ルドルフはレンズ処方 (曲率半径・厚み・空気間隔などの数値表) を提示する際、焦点距離を基準長として扱う方法を採用しました。焦点距離を一定値に揃えて数表を与えれば、他の焦点距離の設計へは同比例で寸法を換算するだけで展開できます。これにより、設計思想そのものを焦点距離に依存しない形で提示できるのです。
焦点距離100mmという表記は、この基準化の具体的な形式です。100という数値は10進法で扱いやすく、比例換算が直感的に行えるため、設計値の比較と再現が容易になります。ここで示される100mmは実在製品の焦点距離を限定する意味ではなく、相似系列 (同比例で展開できる設計群) を整理するための基準の長さと言う扱いにすぎません。
従って流れは三段階になり、ガウスが数学として相似則を確立し、アッベがそれを光学設計理論へ展開し、ルドルフが実務的な処方提示形式として定着させました。焦点距離100mmでの記述は、この理論から設計、そして実務記述へ至る連続的発展の中で生まれた基準化手法だったのです!
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実は当方はこの相似則の理論を全く知らず、また気づかずに居たまま、今回のプリモプラン型の発明原点にあたるべき実用新案出願申請書『DE1387593U (1936-06-17)』の内容を、2013年頃に発見した時、焦点距離100mmとの仕様諸元値を目にして、Primoplan 58mm f/1.9 の発明原本に値する、との判定を逸してしまいました(汗) しかも特許と実用新案との区別も認知しておらず、出願日の表記ズレを以て、製品に該当しない光学設計だとばかり思い違いしてしまったのです。
・・知らぬが仏の何とやらで、全く以て恥ずかしい限りですッ!
要は、実用新案は量産品が発売された時点、或いはそれ以降でも申請が可能であり、特許は特許権が排他権として機能する一方で、実用新案は排他権が弱く審査制度・安定性・保護範囲に於いて脆弱です。
そこで視えてきたのが今回の事例であり、どうして Stephan Roeschlein とPaul Schafter 両名は、特許出願申請書として発明案件の保護を優先せずに実用新案申請というカタチを採ったのでしょうか・・。
実用新案で出す理由とは ― 速さと構造の権利化 ―
Stephan Roeschlein (ステファン・ロシュライン) と Paul Schafter (パウル・シャフター) の両名が実用新案を選んだ背景には、制度が守ろうとする対象の違いがあります。特許 (発明を対象にする制度) は、技術思想そのものを権利化する制度であり、審査 (新規性や進歩性の確認) を経て成立します。一方で実用新案 (Gebrauchsmuster、物の構造や形状の考案を権利化する制度) は、構造を中心とした考案を、より軽い手続きで登録へ進める制度です。簡単な表現で言うなら、特許は発明の思想を守る制度であり、実用新案は形と構造を早く押さえる制度です。
光学レンズの発明案件では、設計思想そのものよりも、レンズの構成 (何枚をどの順序で置くか、貼り合わせをどこに置くか、どの部位に高屈折率ガラスを使うか) が競争力の中心になります。ここで言う構成 (レンズ要素の並びと役割分担) は、まさに実用新案が守る対象に一致します。例えば空気間隔で分離された4要素構成、物体側収束レンズに隣接する接合要素、負のメニスカスと正のメニスカスの貼り合わせ、両凹レンズの配置、そして特定部位に高屈折率ガラスを充てる指定は、図面と文章で示される「形と配置の約束事」です。こうした約束事を市場投入のタイミングに合わせて先に押さえるには、実用新案がとても相性の良い制度になります。
つまりここで実用新案を選ぶ最大の実利は「時間」です。特許は審査を経るため、権利が確定するまでの時間が長くなります。実用新案は登録が早く、設計と製造の動きが速い分野で、先に権利の体裁を整えられます。製造現場では、鏡胴の設計、レンズセルの寸法、貼り合わせ工程、硝材調達、コーティングや検査工程など、投入コストが先に発生します。その時点で権利の外形が存在することは、競合に対する牽制 (同様の構成を避けさせる圧力) として機能します。
さらに、特許よりも実用新案が扱いやすい理由として、権利の守り方が異なる点があります。特許は強い権利である分、成立要件が厳格で、争点が理論や進歩性へ向かいやすくなります。レンズ設計は既存理論 (ガウス光学理論などの一次近似) を土台にしながら、構成の差と材料の差で性能を詰めていく分野です。その場合、争点が思想や理論へ移るよりも、構成の一致不一致として争える形式の方が扱いやすくなります。実用新案は、まさに図面と文章で示した構造を中心に争えるため、競争の主戦場を「配置と構成」に置きやすくなります。
このように、ロシュラインとシャフターの出願が実用新案であることは、発明を小さく扱ったという意味ではなく、高口径レンズの競争に於いて重要になる「具体的な構造」を、早い段階で権利として提示するための制度選択として理解できるのです。なおパウル・シャフターの立場は光学設計者としての立場よりも助手という位置だったことが後の発明案件の経緯から掴めています。従って、主体的に光学設計に携わっていたのはMeyer-Optik Görlitzのホームページでも語られているとおり、Stephan Roeschlein (ステファン・ロシュライン) ということになります。
Primoplan 5cm f/1.9の投入時期 ― 標準大口径域での競合 ―
Primoplan 5cm f/1.9 は 1936年に発売されました。Hugo Meyer & Co. Görlitz が高口径標準レンズとして市場へ投入したモデルです。当時の焦点距離 5cm は35mm判および小型カメラ用の標準画角であり、最も競争が激しい領域でした。
1932年には Carl Zeiss Jena が Sonnar 5cm f/1.5 と Sonnar 5cm f/2 を発表しており、既に高口径標準レンズ市場で優位な位置を築いていました。また、Leitz も 1933年に Summar 5cm f/2 を発売しています。従って1936年時点では・・・・、
▪Sonnar 5cm f/1.5
▪Sonnar 5cm f/2
▪Summar 5cm f/2
・・・・が、主要な競合製品として存在していたと理解できます。
Primoplan 5cm f/1.9 の開口比は f/1.9 であり、f/2 よりわずかに明るく、f/1.5 ほど極端ではない中間的位置にあります。この点から見ると「価格・製造難度・描写特性のバランスを取りながら、f/2クラスとの差別化を図った投入」と考えるのが自然なのです。つまり1936年という時期は、既にSonnarが市場評価を得た後であるため、Primoplanはゼロから市場を開拓する製品ではなく「確立された高口径標準域へ後発として参入した製品」だったと理解できるのです。
…………………………………………………………………………
このような探索から先に指摘できるのは、当時の「初期型」である Primoplan 5cm f/1.9 の実装光学系に関し、特許権の保護が優先ではなく「時間」を優先してきた根拠に納得できました。実際価格帯も僅かに競合他社より低価格路線でスタートしてきた背景には、差別化意識が明確に現れていたと受け取られるのです。

↑㊧:C.P.Görz (Emil von Hoegh) 1925年特許
㊨:Hugo Meyer & Co. Görlitz (Stephan Roeschlein & Paul Schafter) 1936年実用新案
Primoplan 5cm f/1.9 の原本特定 ― 光学設計概念の一致で読む ―
当方が最初に明示する対象は二つです。1925年に掲出された C.P.Görz の特許出願申請書(DE428825C) と、Stephan Roeschlein (シュテファン・ロシュライン) と Paul Schäfter (パウル・シェフター) 両氏による実用新案申請書 (DE1387593U) です。以降は前者を C.P.Görz 特許、後者を Roeschlein 実用新案として区別します。
この段落の解説では構造や枚数の一致を問題にしていません。量産 Primoplan 5cm f/1.9 の実装光学系と整合する「光学設計概念」がどちらの発明案件に存在するのか、その一点です。その為に発明概要の主張が何の拘束に基づいているのかを探る必要がありますが、この時の「拘束」と言う表現の意味合いは、光学面で使われる曲率半径・屈折率・群配置・開口比・収差配分といった設計変数に対して、出願が具体的に数値または条件として制限を与えているかどうかを指します。つまり、単なる理念や課題提示ではなく、設計者が採用できる光学的自由度をどこまで規定しているかが、比較軸になっています。
まず C.P.Görz 特許 (DE428825C) の設計概念を確認します。この出願では、空気間隔で分離された4つのシステム部分を前提にしつつ、発明の中心を「像域周辺の照度低下の解消」に置いています。第2収束系部分に色収差を過剰補正する接合面を設け、その凹面を第3系部分に対向させること、第3系部分の曲率を抑えること、さらに強く湾曲した凹面の曲率半径を焦点距離の3分の1より大きく設定することが請求の核心になっています。ここで拘束されているのは周辺照度低下という特定課題に対する曲率関係と補正状態であり、設計思想の主軸は像面照度の改善にあたります。それは絞り羽根の位置と、その前後の要素との空間距離からも明確に読み取られるのです。
次に Roeschlein 実用新案 (DE1387593U) です。この案件は、高口径レンズの成立そのものを目的に掲げています。空気で分離された4要素構成、中央に負メニス2群を単純収束レンズとすること、焦点距離が物体側収束レンズの自由開口径の1.8倍未満であること、さらに接合要素の負メニスカスと両凹レンズに高屈折率ガラスを用いることを請求の中心に据えています。ここで拘束されているのは、収差補正配分・群配置・材料選択・開口比条件という高口径を成立させるための設計変数そのものです。
量産品 Primoplan 5cm f/1.9 は4群5枚構成で、中央に接合群を持つ高口径標準レンズですが、ここで重要なのは枚数ではなく設計目的です。このレンズ設計は周辺照度低下の是正を主軸に置いたものではなく、高口径を成立させながら球面収差・コマ収差・色収差・非点収差を配分する設計にあります。すなわち「設計の中心は高口径4群系を成立させるための収差配分と材料条件の設定」にあります。
この光学設計概念の一致点で比較すると、像面照度低下の補正を主軸とする C.P.Görz 特許よりも、高口径成立のための群構成・屈折率条件・開口比拘束を直接に主張している Roeschlein 実用新案のほうが、量産 Primoplan 5cm f/1.9 の設計概念と整合していると判定できるのです。
従って Primoplan 5cm f/1.9 の実装光学系の発明原本として特定されるのは Roeschlein 実用新案です。C.P.Görz 特許はトリプレット型 → エルノスター型 → プリモプラン型へ至る発展系譜上に位置する重要な設計思想ですが、量産品 Primoplan の光学設計概念を直接に拘束する出願ではありません。
・・この区別を明確にしなければ、原本特定と系譜説明が混同され、議論は破綻してしまいます。
結果、確かに前述した系譜がこの2つの発明案件では非常に近似しており、未だネット上でも C.P.Görz 派と Roeschlein 派に二分したままですが、発明案件の概要と特に主張を吟味した結果、明確に量産品への接点には違いが現れたという今回の探索経緯から、このような結論づけへと到達しました。なお実はそもそも現Meyer-Optik Görlitzのホームページの解説では、Stephan Roeschleinによる光学設計との案内が示されていますが、今回の探索では、その根拠に迫ってみた次第です。
面制御の純度と性能の誘惑 ― 両凹レンズが示す設計思想の転換 ―


↑上に挙げた図は、それぞれの個別発明案件に掲示されていた光学系構成図から当方がトレースした光学系構成図です。
まずベルテレの❶ 1922年の特許出願申請書 (GB186917A)、次にベルテレの❷ 1924年の特許出願申請書 (DE458499C)、続いてC.P.Görzの❸ 1925年の特許出願申請書 (DE428825C)、そしてRoeschleinの❹ 1936年の実用新案 (DE1387593U)。この順で設計思想の推移を辿ります。着眼点は、収差補正 (像を崩す原因の総称) をどの位置で担わせるかという設計上の判断です。
ベルテレの❶に於いて、当方がまず強調するのは面制御 (レンズ面の曲率と空気層の配分のみで収差補正を完結させる設計思想) です。ベルテレは接合面/接着面 (貼り合わせ境界面) を主役にせず、各面の曲率強弱と空気層 (レンズとレンズの間隔) の配分で光束条件 (光の束の広がり方と角度分布) を制御します。その中心に位置するのが両凹レンズ (両面が凹で光を発散させるレンズ) です。
両凹レンズは単なる負の屈折力要素ではなく、光学システム系全体の光束角度分布を決める支配点です。両凹レンズの位置が変われば、周辺光線の入射角が変わり、非点収差 (縦横で焦点位置がずれる収差)、像面湾曲 (ピント面が平面にならず湾曲する収差) の出方が変わり、結果として周辺照度 (画面外周端の明るさ) も変わります。原因は収差制御であり、周辺減光 (周辺照度低下として観測される現象) は、まさにその帰結 (結果) です。
ベルテレの❷では、この面制御が完成段階へ到達します。ここで決定的なのは第3群の両凹レンズの配置移動です。両凹レンズが絞り羽根の背後から目前へと移ることは、収差制御の重心を動かす行為です。光束条件をより前段で規定し、後群側の補正負担を減らしながら周辺光線の角度を整えています。これは構成図の変化ではなく、どこで収差を担わせるかという判断の再設定と理解されます。つまり面制御はここで純度を極めたのです。
C.P.Görzの❸は僅か1年後の1925年の掲出ですが、その純度を性能の名の下に破ります。❸は周辺照度低下を課題として掲げ、第2収束群へ「接合面」を導入します。接合面は空気層を消し、群内部で屈折率差を活用することで色収差 (波長で焦点位置がずれる収差) の配分自由度を増やします。その結果、両凹レンズが単独で光束を支配する必然は弱まり、補正の主導点は接合群へ移ります。つまり両凹レンズの位置は再び後群側に移動します。ところがここに「罪」があります。面制御のみで完結させようとしたベルテレの作法を、接合という別の論理で上書きした行為です。面制御の美学 (敢えて接着に頼らなかった) から見れば、それは裏切り行為なのです。
しかしこの「罪」は、後の展開によって逆転します。ベルテレ自身がゾナー型 (貼り合わせを増やし、空気層を減らして、反射面数を抑えつつ補正自由度を確保する設計体系) へ進みます。ゾナー型では接合群 (複数枚を貼り合わせたブロック) が補正の主軸となり、エルノスター型で支配点だった両凹レンズは、この段階でついに「構造の中に包含」されます。面制御だけでは到達できない補正自由度を、接合構造で確保してしまったと捉えることができます。ここで、❸で犯された「罪」は、むしろエルノスター型の限界を先に突いた「先見性」へと転化します。実際ベルテレはさらに1924年末に於いて、ついにゾナー型の始祖的発明への気づきとして『US1708863A』へと昇華させています。もしかしたらC.P.Görzの取り組みは、そのようなベルテレの経緯を読んでいたのかも知れません。
Roeschleinの❹では、その方向が固定化されます。エルノスター型の骨格を維持しながら、第2群を接合ブロック化し、補正重心を群内部へ据えます。両凹レンズは単独支配点ではなくなり、構造全体の中で役割を再定義されます。つまり❹は、面制御の純度を保つ設計ではなく、性能改善を優先する改良エルノスター型の完成形なのだと理解できるのです。
一本の経路として整理しましょう・・ベルテレは面制御でエルノスター型を完成させ、両凹レンズを支配点として収差補正を完結させました。C.P.Görzは周辺照度低下という結果に現れた収差制御上の課題に対し、接合面導入で踏み込みました。それは面制御の純度を破る「罪」でした。しかしベルテレ自身がゾナー型で同方向へ進んだことで、その罪は先見性へと転化します。Roeschleinはその方向を固定化し、エルノスター型改善の集大成を示したという、一つの流れの中にこれら4つの発明案件が、ものの見事に一直線に並んだのです!
つまり両凹レンズの位置変化は単なる配置変更ではありません。面制御の純度と性能追求の鬩ぎ合いの中に、その設計思想の転換を示す指標だったのです。そして元を正せば、両凹レンズがアッチコッチ移動していた (それは中央の負レンズ支配という思想) 事実には、実は1893年、19世紀のトリプレット型に於いて提示された設計哲学のカタチをなぞっていたことになるのです。皆様はこの着眼点に、気づかれたでしょうか・・。
・・何故なら当方がこれを自覚した時、はぁ〜、トリプレットかぁ〜!と溜息ついたからです。
実に43年という長い時間を経て、テイラーの哲学は、間違いなくRoeschleinによって固定化されたのだと、当方は確信しました。その成果の一つが・・Primoplan 58mm f/1.9 V (M42) 今回の個体なのですッ! オールドレンズを辿ると言うのは、こういうことなのです。遥か彼方だったはずのテイラーのクックトリプレットが、実は今、手元のPrimoplanの中に明確に息づいていることを感じ取るには、十分な経緯ではないでしょうか???
・・両凹レンズに着眼すると言うのは、そういうことであり、主役は接着レンズではなかったのです!
ややもするとネット上で語られているのは、エルノスター型から辿る第2群の貼り合わせレンズばかりが囃し立てられますが (中にはゾナー型を意識した人まで現れました)、それらは決して誤りではないにしても、当方はもっと深く、さらに遠い時間の先に位置する、全く違う場所に注目してしまったのです・・そこにはベルテレ愛があり、そして先達の今現在にまで延々と続く驚異的な設計哲学「好きなように使えばよいではないか」という、テイラーの思想の素晴らしさも、確かに辿ることができたと、当方は今ホッカリしているところで御座いますッ。
皆様も時には、光学系構成図を『カタチ』としてのみ扱わずに、そこに設計者の思想や哲学を感じ取り、特許出願申請書や発明の真相に一歩踏み込む勇気を抱いてみるのも、また違う角度でお手元のオールドレンズを眺める、良い機会になると思います・・。
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とても長くなりましたが、ようやくこれで「初期型」Primoplan 5cm f/1.9 に実装していた、1936年時点の光学設計発明原本が特定でき、心静かに眺められるのではないでしょうか・・(笑)
㊨がその「初期型」にあたる 1936年発売の Primoplan 5cm f/1.9 であり、発表自体は前年1935年にドイツで開催された「Leipziger Frühjahrsmesse (ライプツィヒ春季見本市)」で、Optische und Feinmechanische Werke Hugo Meyer & Co.(Hugo Meyer & Co. Görlitzを指す正式名称)から発表されています。
← その1936年に発売された「初期型」であるPrimoplan 5cm f/1.9 (LTM) モデルが㊧ですが、見分け方はとても簡単で、赤色矢印で指し示している箇所の研削を確認すれば一目瞭然なのです。
何故なら、同じ「初期型」でもすぐ後に焦点距離の刻印が「5.8cm」に訂正される以前、実は距離環や絞り環に研削されているローレット (滑り止め) を確認すれば確定でき、ご覧のように「綾目模様」で刻まれているタイプだけが「初期型」のライプツィヒ見本市翌年のタイプを示し、直後には同じ5cmでも「平目模様」に変わるからです。
つまりようやくここで「Primoplanシリーズ」の標準レンズ域についてモデルバリエーションへと解説を進められるのです・・非常に長くなってしまい、皆様、go・men・na・sai!
↑上のモデルバリエーション一覧は、現在のネット上で確認できる、総数208本の標準レンズ域に限定した「Primoplanシリーズ」のバリエーションを特定した結果です。
製造番号帯は必然的にそれらネット上のサンプルに依拠しますから、必ずしも工場出荷時点を表すものではありません。一応大分類として、バリエーションは「戦前〜戦後〜ドイツ再統一後」という3つに分類しています。
またそれぞれに「初期型 (3分類)」と「前期型 (3分類)」に「中期型 (4分類)」そして「後期型 (3分類)」に分け、近年の「復刻版 (2分類)」とそれぞれで細分化しています。
また一覧の中で赤色文字で太字表記している箇所だけが、それぞれのモデルバリエーションの変遷の中で「一番最初に仕様変更した内容」を表しますから、それぞれのバリエーション別で何が前後のバリエーションと違うのかを理解しやすいよう配慮しています。
↑それぞれのバリエーションを代表する個体写真に番号を付していますから、上の一覧表と比較してどのような仕様の変化が起きていたのかが分かるように配慮しています。なおオールドレンズの背景が「黄色っぽい柄 (背景紙)」になっているのが、当方が過去にオーバーホール整備した個体の写真撮影で、撮った時の転載写真です (背景がホワイトなのは市場流通品からピックアップ)。
ちなみに前述した「初期型−I ~ 初期型−II」のローレット (滑り止め) が「綾目模様」の研削なのが❶と❷であることがご理解頂けると思います。❶がLTMに対して、❷は旧CONTACのCRFマウント規格品であることも確認できます。そして同じ「初期型−III」の分類である❸ですが、レンズ銘板の刻印は5cmのままに、最短撮影距離だけ75cmに訂正されていますから、これはおそらく鏡筒の繰り出し量を延伸させた機械的訂正のみで光学系の再設計は実施されていないとみています。
「戦前型」の❹に至ってようやく現代的な内部構造化が、このような外観を見ただけでも当方には捉えられます。焦点距離表記が「5.8cm」に変わっていますが、最短撮影距離まで70cmに短縮化されてきた為、この段階で光学系の再設計が実施されていたと推測できます。つまり最短撮影距離だけの訂正であれば、鏡筒の繰り出し量を機械的に訂正しただけとも受け取られますが、焦点距離まで変更してくると、光学設計の見直し無くしては通常は完結できないと考えられます。
戦後の旧東ドイツ時代に入ると製産量が増大していく結果、モデルバリエーションも多岐にわたります。先ず一番大きな変化は「シングルコーティング (単層膜蒸着コーティング層)」を表す「V」刻印がレンズ銘板に現れます。この文字は当時のドイツ語で「反射防止蒸着」を表す光学用語である「Vergütung (フェアグート(ゥ)ング)」の頭文字を採った表記ですから、同じ東ドイツ時代のCarl Zeiss Jenaで単層膜蒸着コーティング層を表していた「Transparenz (トランスパレンツ)」の頭文字を表す「zeissのT」と同じ意味合い (単層膜蒸着コーティング層) になり、使われていた資料 (ここで言う資料とは蒸着に使う鉱物材料を指す表現) は「MgF2 (フッ化マグネシウム)」と特定できます (一部にCaF2も短期間に限定して顕在していた可能性あり)。
しかしCarl Zeiss JenaとMeyer-Optik Görlitzとが、必ずしも同一の膜厚で管理していたとは限りません (一次資料が公開されていないため、膜厚は不明なままです)。これは蒸着コーティング層の膜厚の「薄い/厚い」の相違によって、波長帯域の反射光と透過光との関係性/バランスが変化することを語っているからです。つまり単に「シングルコーティング (単層膜蒸着コーティング層)」と語っても、その内実は決して一意の制御には決まっていないと指摘できるのです。
ここで一旦話を単層膜蒸着コーティング層の話に固定します。これは当方自身が理解するのに1ヵ月を要したという恥ずかしい直近での体験談から、敢えてここで皆様に「反射光と透過光」について、明確にご認識頂きたく、解説に臨みます。ご辛抱下さいませ・・。
単層膜コーティングの膜厚差で何が変わる ― 反射色が変わる理由 ―
単層膜蒸着コーティング層 (反射防止薄膜) は、レンズ表面の反射を減らすために、極めて薄い膜をガラス表面へ蒸着して作られます。この膜は光学薄膜干渉 (薄い膜の表裏で反射した光が干渉し合う現象) を利用して、特定の波長帯の反射を強く打ち消すように働きます。単層膜という名称どおり、膜は1層だけであり、多くの場合でMgF2 (フッ化マグネシウム) を使った単層膜蒸着コーティング層を指しています。
ここで問題になるのは、前玉を直視していた時、反射が見えるのですが、どうして反射しているのに透過していくのかという純粋な当方の疑問がありました・・(恥)
この単層膜が反射を最小にする波長を持つ理由は、光学的厚み (膜の屈折率×物理的膜厚) が 1/4波長 (ある波長の1/4に相当する厚み) になると、その波長の反射光同士が逆位相 (波の山と谷が反対向き) となり、互いに打ち消し合うからです。これは光/光線が電磁波であり波動でもあるからです。山と谷を含む1サイクルの振動を4等分して考えると、その1/4に相当する厚みを膜内部で往復した光は、表面で反射した光に対して1/2波長分の位相差を持つことになります。その結果、両者は正反対の位相となり、干渉によって反射が強く減少します。これにより、その波長付近の反射は大きく減ります。単層膜のコーティング色が一定ではなく色味が変わって見えるのは、個体差 (同じ製造条件で作られた中でも蒸着膜厚がわずかに異なることによる差) やロット差 (生産時期ごとに膜厚の設定値そのものが意図的に異なっていることによる差) によって、反射が最も減る波長の位置が短波長側または長波長側へ変わるためです。
膜厚が設計値より薄い場合、反射が最も減る方向は短波長側 (青側) に現れます。すると紫〜青の反射が強く抑えられます。抑えられなかった中波長 ~ 長波長側 (緑 → 黄 → 赤) はそのまま反射光として残ります。その結果、前玉から見える反射光は黄 ~ 橙 ~ 赤寄りになります。ここで起きているのは、青の反射が減ったために緑 → 黄 → 赤の反射光が残るという関係です。赤や黄が増えているわけではありません。減少した反射エネルギーは透過へ回ります。
逆に膜厚が設計値より厚い場合、反射が最も減る位置は長波長側 (赤側) に現れます。赤の反射が強く抑えられ、紫 ~ 青の反射が残ります。その結果、前玉から見える反射光は青寄りになります。この場合も、青が増えるのではなく、赤が減ったために短波長側の反射光が残るだけです。
反射と透過の関係は波長ごとに独立しています。ある波長の反射が減れば、その波長の透過は増えます。短波長側で反射が強く抑えられた場合、その短波長側 (紫 ~ 青成分) はより多くレンズ内部へ通過します。一方で、中波長〜長波長側 (黄 ~ 赤成分) は反射としても残り、同時に透過としても残ります。単層膜は特定の波長の反射を減らした結果、その波長の透過率を上げる役目を担い、他の波長成分はそれぞれ反射率 (反射光) と透過率 (透過光) の関係を保ったまま存在します。
この関係を正しく押さえないと、反射光の色味だけを見て誤った判断に至ります。黄や赤に見える場合でも、長波長側が増えているのではなく、短波長側の反射が減っているだけです (そしてその時短波長側の透過光も増えている)。
さらに、単層膜は入射角 (光が面に当たる角度) によっても干渉条件が変化します。角度が大きくなると、反射が最も減る波長は短波長側へ変わります。そのため、前玉を正面から見た時にパープル (紫色) に見えていたものが、僅かに角度を変えるだけでアンバー (黄色寄り) に見える色味が変化することがあります。これはその角度において反射光として残る波長帯域が変わるためです。
結論として、単層膜蒸着コーティング層の膜厚差および入射角の変化は、反射が最も減る波長の位置を短波長側または長波長側で波長制御しています。その結果、前玉から見える反射光の色味がスペクトル順に沿って変化し、同時に透過光は反射で強く抑えられた波長帯域において増加します。
↑光 (太陽光) がプリズム分光器に入射すると、ご覧のように波長帯域別に分散してしまいます。
🅰 610~800nm (赤 色)、屈折角度:30.3073°、屈折率:1.512932n(λ):長波長側
🅱 595~610nm (橙 色)、屈折角度:38.5937°、屈折率:1.516197n(λ):長波長側
🅲 580~595nm (黄 色)、屈折角度:38.6469°、屈折率:1.516803n(λ):中波長側
🅳 500~580nm (緑 色)、屈折角度:38.8437°、屈折率:1.519039n(λ):中波長側
🅴 480~500nm (シアン)、屈折角度:39.1137°、屈折率:1.522100n(λ):短波長側
🅵 435~480nm (青 色)、屈折角度:39.3391°、屈折率:1.524649n(λ):短波長側
🅶 400~435nm (紫 色)、屈折角度:39.6960°、屈折率:1.528673n(λ):短波長側
当方の一か月間の誤認 ― 時間と位相を同一視した、ドシロウト解釈 ―
この段落では原理的な現象説明に加え、当方が実際に陥った誤認と、その整理過程を示します。
つまりここまで時間と位相と位相差との関係を、敢えて切り分けて述べた理由があります。実のところ当方自身が、約1か月間にわたり、この三点を無意識のうちに同一平面で扱ってしまっていました。入射光が透過していく際に『エネルギー保存の法則』(ここでは、入射=反射+透過+吸収 (+散乱)) を絶対条件として置いたまま (これは正しいのですが)「反射で打ち消された逆位相分が透過側へ回る」という説明を、当方が勝手に時間順の出来事として捉え「Aが起きたからBが後から起きる」と理解していたのです。その背景には、当方の中に常にあった「時間は止まらない」という意識がありました。時間が進み続ける以上、位相も進み続け、何かが後から生じるはずだという無意識の前提を置いてしまっていたのです。
その結果、逆位相分は時間的に遅れて透過側へ追加されるのだと解釈してしまい、同一入射波から分岐した成分であるにもかかわらず、あたかも後から来た別の光束に追加されるかのように認識していました。この時点で既に、位相差を時間差として読んでしまっていたことになります (これは明白な間違いです)。何故なら、位相差は任意の時刻に於ける波長の位相位置をピックアップしているにすぎないからです。
しかし実際に扱っているのは、同一波長の同一入射波が境界面で分岐し、同一光速で進み、同一時刻に於ける状態角の差によって干渉結果が決まるという現象です (つまり起きている現象は全てが同じ光速の瞬時の挙動として発生しているにすぎず、結果透過光が通過していくだけの話)。薄膜厚はナノメートル単位であり、光は1秒間に地球を約7.5周する速度で進みます。そのスケールを具体的に意識した時「時間は止まらない」という事実そのものは否定されないままに、それでも干渉の説明に於いては、時間順の因果を持ち込む必要がないことが明確になります。
さらに追加で当方は「位相差」と言う「差」の文字に引っ張られてしまい、そこで再び「時間軸」を再現させてしまったのです。当方がこの誤認に一か月間気づかずに受け入れていたという事実は、決して特異なものではありません。位相「差」という語は、時間差を連想させやすく「回る」「増える」という表現は因果順序を想起させてしまいます。だからこそ、時間軸は位相や位相差と同一次元に置かれていないことを明示しておく必要があるのです。
この配慮 (いまのここの解説) は、当方自身が踏み込んでしまった誤認と言う同じ経路を、皆様に辿らせないための「事前防御」なのです・・go・men・na・sai!
真に以て恥ずかしいとしか言いようがない始末ですが、実際に意識層に抱いていた「誤認」であり、物理学にも光学でも全く許容されるべきではない間違いだったのです!(恥)
ここまでで、反射と透過は時間差で足し算されるのではなく、同一入射波の「瞬時的」な結果であることが整理できました。
もうここまでお読み頂いていれば、単層膜に限定した話ですが、蒸着コーティング層に於ける反射光と透過光との関係性は意識の中に明確に成立できています! 従って今はお手元のオールドレンズを眺めた時に見えている「反射している光彩」について、皆様は明確にご自分のコトバとして語ることができるようになっていますョね・・羨ましい限りです(拝) (その裏側で、当方はとても恥ずかしいです)
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話が長くなり申し訳ございません! 従って前玉の反射光を眺めるだけでも、MgF2 (フッ化マグネシウム) を使った単層膜の蒸着の様子が理解でき (つまり膜厚が薄いのか厚いのか)、そのモデルではどの波長帯域の透過光を増やしたり維持させたりしているのかが見えてきます。結果この事前の情報の基に光学系構成図をチェックしてみると、また違う結論に到達でき、より撮影した実写との整合性が叶うというものなのです。するとそのモデルの光学系構成図から捉えられた印象として、フードを用意したほうが良いのかどうか、例えば今回のモデルで語るなら、C.P.Görzが試みていた「斜め入射光の問題など周辺減光の課題」という側面からもフードの必要性に納得感を得られたりします。光学設計を探るとは、そういう意味合いも含まれるのであって、光学系構成図を単なる「カタチ」としてのみ扱わずに、もう一段深く探る姿勢を持つことで、またより一層オールドレンズの世界が広がるのではないかと・・思いますッ。
・・単層膜の話だけで、1ヶ月間も右往左往していたお前が何を語るか!というお話です(恥)
話を戻します。上のモデルバリエーション一覧で、❺から始まるシングルコーティングの話はそういうことになります。❺「前期型−I」から焦点距離表記は一貫して「58mm」に固定されます。
最短撮影距離が旧東ドイツ時代の中にあって、唯一❿だけがバリエーションの中で「65cm」にブレます。逆に言うなら⓬〜⓮では「後期型」として製品設計が変わっていることを完全解体して確認済みなので、或る意味この❿だけが異質であり、ハッキリ言って前回探索した2013年以来一度も市場流通品を見たことがありません。
・・もしも❿のタイプを発見したら、それはウン十万レベルの価値モノです!
似たように価値モノで見るなら(笑)、例えば❻の指標値環の研削手法も、ご覧のとおり製造番号が1個体だけなので、このタイプも2013年以来発見できていませんッ(汗)
ここでこの一覧の「指標値環」との意味合いが分からないと思いますので、以下に解説します。
←㊧は上の一覧で言うところの「初期型−III」のひとつです。鏡胴中腹に位置する基準「❙」マーカー (∞刻印がカツンと音を立てて停止する位置の刻印) の部分を当方は総称的に「指標値環」 と呼んでいますが、その部分の生産時の研削が「一体研削」であることを語っており、且つこの❸では「制限キー付」としていますから、㊧のように無限遠位置と最短撮影距離の両端で、音を立てながら突き当て停止するのは、両サイドに2本突出する棒状のレバーによってのみ確定していることを表しています。つまりもしもこのレバーが外れてしまうと、ヘリコイドの駆動停止が行われず、鏡筒が脱落する話になると (当方自身は一度もこのタイプを解体できていませんが、それでも内部構造の通例として) 推定できるのです。
←㊧は今度はバリエーションで言うところの「前期型−I」(❺) のひとつで、当方が過去に扱って完全解体しオーバーホール整備した個体からの転載写真です。するとこのタイプの指標値環の項目で「独立型/平目模様」と表記しているのは、赤色矢印とブルー色の矢印のそれぞれ指し示している箇所に「イモネジ」という微細ネジが締め付けられており、互いに独立していることを表しています。つまりマウント部がイモネジを外すと取り外せ、その直前の指標値環 (基準▲マーカーが刻印されている箇所) もイモネジを外すとリング状に取り外せることを表します。それが意味するのは「∞刻印位置にピタリと▲位置を合致させられる」ことを意味するので、製品設計が全く異なることを意味します。それはオーバーホール整備する当方のような立場には、ピタリと位置合わせできるメリットがあるので注目箇所 (つまりバリエーションの項目) として扱われるべきという判定に至っているのであって、単なるバリエーションの判定基準ではありません (整備作業が関わると言うお話)。
なお、マウント部の周り←距離環や絞り環のローレット (滑り止め) には、縦方向に刻みが入った研削が見られますが、このような研削手法を指して「平目模様」研削と金属業界では呼称します。「初期型」が「綾目模様」だったことからも違いが分かると思います。
↑上に挙げたバリエーション別写真も指標値間の違いを説明する為に赤色矢印をそれぞれに付しています。前述のとおり、これらの内容も当然ながらオーバーホール整備の際に関わる内容なので重要ですが、それはそもそも製品設計が変更されていることに起因しています。
❼と❽の指標値間の項目は「一体型/平面研削」と表記していますが、ご覧のように「平目模様」の研削が消えて、しかもイモネジはマウント部直前に全周で3箇所均等配置に減じられて一体に研削されていることが分かると思います。つまりこれが意味するのは「製産時点の効率向上」を狙った製品設計の訂正であり、この結果指標値環の組み込みを気にせずにダイレクトにヘリコイド群をセットできるという複数工程を省いた省力化製品設計の結果を意味しているのです。従ってこの項目も単なるバリエーションの相違点の判定材料ではなく、整備に直結する内容でもあるのです。
次に❾ ~ ⓫ではご覧のようにマウント部が「受け皿」のようなカタチに製品設計が変わり、再び指標値環が介在する方向に転じましたが、実は製品設計上、指標値環は基台に刻印されるように変わった為、ここでも工程数を減じた思想が反映した結果だと理解できます。
最後に⓬ ~ ⓮では丸ごとの一体研削に変化しましたが、これは指標値環の工程数どうのこうの話とは全く別モノで、実は最短撮影距離が「60cm」に短縮化された結果、このようにヘリコイド群と鏡筒の駆動域の都合上、製品設計を変更してきた結構大きな変更作業になっています。当然ながらモデルバリエーションの判定項目には入りますが、その実は仕様諸元の大きな変更という課題を反映した結果だったのです。
なお、レンズ銘板の刻印には「後期型」のほうでホワイト刻印の△表記が入ったり、その△の内部に「1」が刻印されたり「S」が刻印されたりという違いを残しています。これらは「1st Quality (一級品/高級品)」などの意味合いとして当時一時的に流行った表現の一つです。
一方製造番号帯では「※」を付した番号帯だけが前後で互いに新旧混在している状態で、市場流通品が今も確認できます。つまりこの現象が意味するのは「複数工場で増産体制を組んでいた」結果工場出荷タイミングによって製造番号帯 (レンズ銘板に刻印されている製造番号) の番号順が、必ずしもシリアル値をとっていなかったとの判定にしかなり得ません。
するとそれが意味するのは旧東ドイツでの「製造番号事前割当制度」という、計画生産に基づく社会主義体制下での管理体系による制御から、おそらくはMeyer-Optik Görlitzが自社工場を自社資金だけで拡張増設したのではなく (そもそも資金管理はVEBに一任されていなかった) 中央の命令によりMeyer-Optik Görlitzの配下に加わった別の光学メーカーが存在していたことを、匂わせている事実として、このような製造番号帯の新旧混在が現れていると言う評価に至っています。
従って単に製造番号のシリアル値を追うだけでは決してそのように背景が捉えられず、且つその時に中央の権力が如何に大きかったのか、或いはそういう側面には体制の理解が必須なのであって、冒頭のほうでさんざん解説してきた意味合いとは・・こういうことに繋がっているのです。
・・ご理解頂けるでしょうか???
このようにたかがオールドレンズの話なのでしょうが、そのバックホーンを探る時、実は史実のみならず、当時の体制と管理形態まで調査しなければ「真の根拠 (理由)」は決して視えてこないと言う側面を、お話してみました。その意味では外見上の違いだけを追っていても、真実は見失ったままなのかも知れないのです。
・・オールドレンズ、なかなかに、なかなかですョね???(汗)
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↑上に挙げた曲線グラフは、㊧から順に以下のような内容になっています。
◯ 1つ目:MTF曲線グラフ (空間周波数特性)
X軸:像高 (画面中心から周辺までの距離)
Y軸:コントラスト伝達率
青線:低空間周波数
橙線:中空間周波数
緑線:やや高空間周波数
赤線:高空間周波数
◯ 球面収差縦収差グラフ
X軸:焦点移動量 (mm)
Y軸:正規化瞳高 (光線が通過する開口内位置)
青線:短波長側
橙線:基準波長
緑線:長波長側
◯ 像面湾曲縦収差グラフ
X軸:像面位置のずれ (mm)
Y軸:像高
青線:サジタル像 (放射方向像)
橙線:タンジェンシャル像 (円周方向像)
◯ 歪曲収差グラフ
X軸:歪曲量 (mm)
Y軸:像高
単一曲線:像高に対する歪曲量
これら曲線グラフと以下の説明は、Primoplan 58mm f/1.9 V (M42) の完全解体で得た実測値と当方がトレースした光学系構成図を基にし、特許出願申請書 (DE1387593U) の記述から得た硝材の情報を参照値として用い、光線光路計算によって得た理論的挙動の内容です。
概 要 ― 4つの曲線グラフで掴む骨格と、光線光路で詰める肉付け ―
Primoplan 58mm f/1.9 V (M42) は、4群5枚のプリモプラン型光学系を実装しています。当方が用意した4つの曲線グラフが示すのは、中心から周辺へ移るにつれてのコントラスト伝達の変化と、軸上での焦点位置のずれ方、像高に応じた最良結像位置の差、直線の変形方向と増え方です。これにより、解像感、階調表現、球面収差、像面湾曲、幾何歪曲収差は曲線グラフの形そのものを根拠にして次のように説明できます。
その一方で、色収差、コマ収差、周辺減光、ボケ質、フレア制御は、これら曲線グラフからは十分な情報量を得ていません。ここは当方の当初の狙い通り、実測値とトレースした光学系構成図から辿った光線光路を根拠にして、像面上の光線の広がり方、波長別の結像差、周辺像高での光束の欠け方などを詰めていくことで調べることができます。以下では、曲線グラフで言えることは曲線グラフを基にして説明し、曲線グラフ以外の参考要素については光線光路を辿った結果として、具体例へと落とし込んでいきます。
MTF曲線グラフでは、4本の曲線全てが像高0から単調に低下し、像高が増えるほど4本の上下差が広がっていく様子が見られます。周辺ほど赤線が先に沈み、青線は最後まで残ります。このような傾向の時、実際の実写では、ピント面の中心に置いた被写体の細部は明瞭に分離し、周辺へ向かうにつれて細線の締まりが弱まり、同じ細さの文字や格子がやや太く甘く見える傾向を示します。
例えば中心の金属刻印の角やネジ溝、髪の毛の束の境界は一本ずつ際立ちますが、周辺へ行くと同じ刻印の細い線が輪郭の芯を失って僅かに丸く見え、細い枝や電線が太って見える側へ寄ります。印刷物の小さな文字では、中心は先端まで明確に残るのに対し、周辺では文字が少し滲んで「字幅が増えた」ように見え、格子模様は線の間の抜けが弱まって面状に近づきます。
球面収差縦収差グラフでは、3本ともS字形で、瞳高±1側ほど焦点移動量の幅が大きく、中心付近 (瞳高0付近) で急に折れています。青・橙・緑は横方向に分離して並行気味に推移します。実写では、開放付近でピント面の輪郭に僅かな滲みが加わり、高コントラスト境界では淡い色縁が確認できると思います。具体的には例えば白黒写真での境界の黒側が薄く持ち上がって見え、白い看板の縁が僅かに柔らかく丸まります。カラー撮影でもガラス瓶のハイライトや金属反射では芯の周囲に薄いベールがまとい、ピントが合っているのに「微妙に甘い光の層」が付く出方になります。逆光時の枝先やフェンスの縁では、紫や緑の薄い縁取りが混ざり、ピント面を跨いで前後方向に色の滲みが入ったように見える条件が生まれてしまいます。
像面湾曲グラフでは、青線も橙線も像高とともに単調増加し、周辺ほど像面位置のずれが大きくなります。周辺ほど2本の間隔が広がっています。実写では、平面の壁や掲示物を撮影した際、中心に合わせると周辺が甘くなり、周辺に合わせると中心が甘くなります。さらに周辺では放射方向と円周方向で解像の出方に差が現れます。具体例として、壁のポスターの中央文字にピントを置くと四隅の文字だけが一段ぼやけ、四隅の文字に合わせ直すと中央の文字が僅かにぼやけて見えます。タイル壁や窓枠のような直交パターンでは、周辺で縦線は残るのに横線が先に崩れる、またはその逆が起き、同じ場所でも線の向きで「残る/溶ける」が分かれます。遠景のビルの窓の反復模様は中心では均一に見えるのに、周辺では放射方向の列は比較的整い、円周方向の列がやや潰れて間隔が詰まって見える、という差として現れます。
歪曲グラフでは、像高が増えるほど負方向へ単調に増え、周辺ほど負側の量が大きい一方向の曲線です。実写では、建築物の直線や水平線が周辺で内側へ引き込まれる形に曲がり、中心では直線性が比較的保たれます。具体的には、建物の外壁の縦線が画面端で内側へ湾曲し、窓枠の四隅ほど枠線が「中心へ吸い込まれる」方向に見えます。地平線や海の水平線は中心付近では真っ直ぐでも両端ほど内側へ僅かに曲がり、複写の外枠では四隅が特に内側へ丸く入り込んだ形になります。単調な一方向のため、途中で反転して不自然な折れを作るのではなく、外周へ向かうほど同じ方向に素直に増える曲がり方として現れます。
解像感 ― MTF曲線グラフの「上下差」を描写へ落とす ―
MTFは像高が増えるほど4本の曲線の上下差が広がっています。これは中心では「粗い成分 (青線) も細い成分 (赤線) も同時に残る」傾向ですが、周辺ほど「粗い成分は残るが細い成分は先に失われる」という分離が強くなる形態です。
実写では、中心では細かな金属刻印や髪の束が一本ずつ分離して見えますが、周辺では同じ細さの要素がまとまり、境界がやや曖昧になります。たとえば中心の布地の織り目は一本ずつ筋が立つのに対し、周辺では織り目が束になって見え、繊維が面として滑るように感じられます。遠景の枝葉は中心では葉脈や細枝が分離しますが、周辺では細枝が重なって塊になり、輪郭の芯が抜けて「ふわり」としたまとまりへ寄ります。
中心では赤線が一定量残っているのが分かります。細線の輪郭が成立しやすく、微細な境界が像として残る方向です。実写では、中心に置いた金属刻印の角、髪の束の分離、布地の細い織り目が「輪郭として」残りやすい挙動になります。具体的には、黒い文字の角が角として立ち、細い線の端が途中で溶けずに止まり、反射の縁取りが細く締まって見えます。小さなネジ山や細い傷も、線として認識できる幅を保ちます。
周辺域では赤線が早く沈み、青線と赤線の差が大きくなります。実写では、周辺に置いた同じ細かさの要素ほど、輪郭の芯が抜けて太って見える側へ寄ります。大きい形 (面の境界) は残りますが、細い線の締まりは弱くなる、という差が曲線の上下差そのものとして現れると考えます。具体的には、格子の線が太くなって間隔が狭く見え、細い文字は線幅が増えて読みやすさは保ちますが、シャープさが落ちます。葉の輪郭は残るのに葉先の鋭さが弱まり、細い枝が一本として分離しにくくなるような写り具合になります。
階調表現 ― MTF曲線グラフ上側の「残り」を描写へ落とす ―
MTF曲線グラフの上側 (青線・橙線) は周辺まで一定量が残っています。面の濃淡 (大きい明暗変化) が、画面外側でも急に崩れない形態です。実写では、頬の陰影、衣類の大きい皺、壁の緩い明暗勾配などが、周辺でも保たれやすい方向と言えます。そのため、画面端でも大きな明暗の立体感は維持され、極端な平板化は起こりません。具体例として、人物の頬から顎にかけての陰影が周辺でもちゃんと残ります。白い壁の光の回り込みも、端で急に飛んだり潰れたりせずに、緩い濃淡のまま続区という違和感を覚えない写り具合になると推測できます。
一方で下側 (緑線・赤線) は周辺で沈んでいることが分かります。細い境界の締まりが周辺ほど弱くなるという形態です。面の濃淡は残るのに輪郭の芯が落ちるため、周辺では「面は見えるが細部が粘らない」印象傾向になります。階調が滑らかに見える一方で、細線の強さは中心より弱くなる、という同居が曲線の形態として現れていると判定できます。具体的には、髪の毛の一本一本は周辺でまとまり、まつ毛や眉の細線は線として残りにくくなります。布の織り目は面の濃淡としては見えるのに、糸のエッジが弱くなって滑らかに見えます。肌理は柔らかく感じられる反面、微細な凹凸を拾う硬さは中心より控えめになります。
球面収差 ― 縦収差グラフの「横幅」を描写へ落とす ―
球面収差グラフの縦収差は、瞳高±1側ほど横方向の幅が大きいS字です。これは開口外周側の光線ほど焦点移動量のバラつきが大きいことを意味しています。軸上像の輪郭に、前後方向のにじみ成分が残るという形態です。実写では、白黒の境界にわずかな柔らかさが加わり、硬質な被写体でも角のエッジが少し丸く見えます。具体的には、金属のエッジが「カチッ」と止まるより一瞬滑るように見え、ガラスの縁は芯の周囲に淡い光が重なって見えます (つまり明確に見えていない)。文字の縁は黒が少し浮き、白地側に薄い滲みが現れて、鋭さが僅かに緩んだ写りに見えてしまいます。
曲線は瞳高0付近で急に折れています。中心寄りの光線が作る芯と、外周寄りの光線が作る滲みが、別の位置へ分配されているという形態です。実写では、開放でピント面の輪郭が一段柔らかくなり、芯の周囲に薄い滲みが付く出方になります。具体的には、白いシャツの折り目は線として残りながらも線の外側に薄い光の層が付くように見えます。点状の反射は中心に明るい芯を持ちながらも、その周囲が滑らかに広がります。つまりエッジ境界が僅かににじむ方向に見えます。
さらに青線・橙線・緑線が横方向に分離しています。これは波長差 (色差) による焦点位置差が、縦収差として同時に存在する形態です。実写では、高コントラスト境界の縁で、色成分を伴う薄い滲みが混ざる条件になり得ます。具体的には、黒い枝の縁に紫寄りの縁取りが現れてしまい、白い建物の輪郭に緑寄りの薄い縁が混ざります。特に逆光の細線では、滲みの薄さは保ったまま色だけが付くため、拡大すると色成分の分離として確認できます (つまりいわゆる色ズレです)。
像面湾曲 ― 像高と「最良結像位置のズレ」を描写へ落とす ―
像面湾曲グラフの2本の曲線は、像高とともに単調増加し、周辺ほど像面位置のずれが大きくなります。中心で合わせた合焦位置と、周辺で最も合う位置が一致しない形態が、そのまま曲線で示されています。その結果、画面全体を均一にシャープに写すには絞り込みが必要になり、開放では中央優位の写りという傾向を招きます。具体的には、風景で中央の樹木に合わせると、周辺の枝葉が一段柔らかくなり、周辺の岩肌の細部がさらに溶ける方向に見えてしまいます。周辺の建物の窓枠に合わせ直すと中央の細部が僅かに甘くなり、全域を同時に際立てるには、絞りを絞って (絞り値を上げて) で被写界深度を稼ぐ (明確化する) 必要がでてきます。
実写では平面的な被写体の時に最も分かりやすく傾向が現れます。壁面、掲示物、複写など、画面全体が同一距離の被写体では、中心を合わせると周辺が甘く見える方向に見えます。周辺の像が別の位置へズレる形態が、像面湾曲の単調増加そのものなのです。具体例として、新聞やポスターの複写では中央の文字は明瞭でも四隅の文字が薄く滲み、四隅の文字に合わせると中央の文字のエッジが一段柔らかくなります。タイルやレンガの目地では、中央の目地は線として残りますが、端ほど目地が太っていき、間隔が詰まって見えてしまいます。
像面湾曲グラフの青線と橙線は、周辺ほど間隔が広がっています。方向によって最良結像位置がズレる条件が、周辺で増えていくと言う形態なのが分かります。実写では、周辺の細線が方向によって残ったり崩れたりしやすくなり、細部の崩れ方に方向性が混ざる出方になります。具体的には、周辺の窓枠で縦線は比較的締まるのに横線が甘くなる、あるいは円周方向の線が流れる、といった差が同一画角内で混在してきます。星景や夜景の点光源は、周辺ほど点が丸ではなく方向性を帯びてきて、縦横で形の崩れ方が違う条件になります。
幾何歪曲収差 ― 歪曲曲線グラフの「符号と増え方」を描写へ落とす ―
歪曲収差グラフは像高が増えるほど負方向へ単調に増えます。中心では歪曲量が小さく、周辺ほど負側の量が増える一方向の形です。実写では、直線の曲がりが「外周に行くほど目立つ」挙動になります。特に建築写真や複写では、四隅で枠線が内側へ湾曲して見えます。具体的には、ビルの外壁の縦線が端で内側へ寄り、門柱の直線が四隅ほど弓なりに曲がります。複写の外枠は四辺全体がわずかに内側へ吸い込まれ、四隅で最も強く「丸み」が出ます。
建築の窓枠、水平線、複写の外縁では、中心付近の直線が保たれていても、外周ほど曲がりが見えてきます。曲線が単調であるため、歪曲が局所的に反転して変な折れ方になるのではなく、周辺へ向かって同じ方向へ増える形で見えてきます。見え方としては「周辺だけが曲がって変形して見える」が最も素直な具体的描写の傾向になります。具体例として、水平線は中央は真っ直ぐでも両端で僅かに内側へと引かれてしまい、正方柄の床では中心の正方形が保たれつつ端の正方形が内側へ潰れた形に見えてしまいます。
色収差 ― 縦収差グラフの「3本分離」を像面の現象へ落とす ―
色収差 (波長差による焦点位置差または倍率差) のうち、軸上色収差 (色ごとのピント位置差) は球面収差縦収差の青線・橙線・緑線の分離として直接出ています。分離がある以上、ピント面近傍に色別の焦点差が同居していると言えます。実写では、黒文字の縁や逆光の枝先に紫色や緑色の縁取りが現れます。具体的には、白い看板の黒文字の外側に紫が薄く乗り、枝先の細線の縁に緑が混ざることがあります。金属の反射境界では、明るい側に紫寄りの滲み、暗い側に緑寄りの滲みが薄く見える条件になり得ます。
実写では、中心付近の高コントラスト境界に於いて、輪郭の縁へ色成分が薄く混ざる条件になります。分離が広いほど色成分が目に入りやすく、狭いほど目に入りにくい、という関係で整理できると思います。具体例として、白黒の境界が細いほど色ズレが目立ち、太い境界では色が薄く見えていきます。遠景の鉄塔やフェンスのような細線は色が乗りやすく、白壁の大きな境界は色が薄く出る、という差として現れてきます
コマ収差 ― 周辺像高での「非対称成分」として語る ―
コマ収差 (周辺点像の非対称拡大) は、今回の4枚の中で独立曲線としては出ていません。ここは光線光路から語ります。周辺像高で点像を作る光線束が、像面上で左右や上下に偏って広がると、点が尾を引く形態になります。実写では、夜景の街灯や反射光が周辺で流星状に伸びます。具体的には、周辺の街灯が涙滴形に伸び、尾が中心方向へ向く/外側へ流れるといった方向性を帯びてきます。車のヘッドライトや水面の点反射も、中心では丸に近いのに、周辺では片側が引き伸ばされて彗星形になります (そのように見えるのでコマ収差と呼びます)。
実写では、夜景の点光源や反射ハイライトが、周辺で片側へ伸びる形になります。像面湾曲と非点収差の「周辺ほど増える」条件と同じ像高側で現れやすく、周辺ほど点像の形が崩れやすいという描写傾向に落とせます。具体例として、画面四隅に近い位置にある点光源ほど、形が崩れて尾が長くなり、同じ明るさでも中心より「大きく」「滲んだ」点として見えます。星景では周辺の星が翼を持ったように見え、拡大すると左右非対称な広がりとして確認できます。
周辺減光 ― 像高方向の光束不足として語る ―
周辺減光 (画面周辺照度低下) は、像高が増えるほど像面へ届く光束が減ることで起きます。ここも光線光路から語ります。周辺像高ほど主光線の入射角が増え、有効瞳面積 (像面へ寄与する開口面積) が減ると、周辺ほど暗くなります。実写では、開放で四隅が暗くなり、中央が強調された印象になります。具体的には、青空や白壁のような均一面では四隅が一段暗く落ち、中央の明るさとの差がはっきり出ます。人物を中央に置くと顔が相対的に明るく見え、背景の四隅が落ち着くため、中央集中の印象が強まります。
実写では、開放で四隅が暗くなり、1段絞ると改善する方向になります。画面全体が均一な明るさの被写体では四隅の暗さが目立ち、人物を中央に置く構図では中央が相対的に明るく見えます。具体例として、室内の白い壁を撮ると四隅の落ち込みが目につきますが、屋外の木立を背景に人物を撮ると四隅が暗いことで背景が締まり、逆に被写体が浮きやすくなります (つまりデメリットだけではないとも言いかえられます)。絞ると落ち込みは浅くなり、均一面でも四隅の差が減ります。
ボケ質・焦点外領域周波数 ― 縦収差の「幅」から焦点外を語る ―
ボケ質 (焦点外の見え方) は、焦点外で光が像面にどう分布するかで決まります。球面収差縦収差で外周側の横幅が大きいという形態は、焦点外に於いて輪郭が立ち過ぎず、内部へ明るさが広がる成分を持ちやすい形態とも言いかえられます。芯と滲みが同居する形態が、焦点外では「面としての滲み」を作ってしまいます。実写では、背景の点光源が柔らかい円形に広がり、縁取りが強く出にくい傾向になります。具体的には、イルミネーションの玉ボケが輪郭だけ硬く立つよりも、内部が滑らかに明るい円になり、縁のリングが出にくい条件になります (つまり当方が玉ボケと呼ぶカタチです)。葉の隙間のハイライトは、角張らずに丸くまとまり、背景全体が柔らかい面として溶けてしまいます。
焦点外領域周波数 (焦点外で残る細かな輪郭成分) は、MTFの周辺で高周波が先に沈む形態として整合しています。周辺ほど細い輪郭成分が残りにくく、焦点外は細線より形の癖が目に入りやすい出方になります。実写では、中心の背景ハイライトは形が比較的整い、周辺ほど楕円化や方向性が混ざりやすい、という描写に繋がっています。具体例として、中心の玉ボケは丸に近いのに、周辺では楕円に伸び、並び方に流れが出ます。背景の枝の焦点外は中心では滑らかに溶けるのに、周辺では線の重なりが方向性を持って見え、ボケの「流れ」として意識されやすくな<>というワケです。
フレア制御 ― 空気面反射によるコントラスト低下として語る ―
フレア (迷光によるコントラスト低下) は、空気とガラスの境界での反射 (空気面反射) と内部反射で増えます。これは4つの曲線グラフには直接現れませんから、光線光路の中で、迷光経路として語ります。空気面が多いほど、強い入射光で迷光成分が像面へ回り込みやすく、黒が浅く見える方向になります。実写では、強い逆光で画面全体が白っぽくなり、黒の締まりが弱まります。具体的には、逆光の人物では髪や服の黒が灰色寄りに際立ってしまい、全体のコントラストが薄く見えます。太陽や強い照明を画面内や画面近傍に置くと、薄いベール状の白が現れて被さり、細部の黒が浅くなって (薄くなって) 輪郭の芯が弱まっていく傾向に陥ります。
実写では、順光では階調が保たれ、強い逆光では画面全体のコントラストが下がり、細部の黒が浅く見える方向になります。具体例として、順光の街並みでは陰影が締まり、窓枠の黒も深く出ますが、逆光に回ると同じ窓枠の黒が持ち上がり、壁面の細かな凹凸が見えにくくなります。点光源が入る条件では、コントラスト低下に加えて局所的な白い滲みや薄いゴーストが重なり、暗部が「薄く霞む」出方として現れてきます。
総 括 ― Görlitzが掲示したエルノスター型が持つ課題のその後とは ―
ここからの内容はあくまでも当方の推論範疇にとどまります。1925年にC.P.Görzに在籍していた「Emil von Hoegh (エミール=フォン・フーフ)」が直面した課題とは、前年の1924年にZiess Ikon AGに在籍していた「Ludwig Jakob Bertele (ルートヴィッヒ・ヤコブ・ベルテレ)」が発明したエルノスター型光学系に於ける欠点要素の一つであり、周辺の照度低下、つまり画面外周での光束 (明るさ) 不足という現象です。
これは単に暗いという現象ではなく、像高 (画面中心から周辺までの距離) が増えるにつれて有効瞳面積 (像面に届く光の通路面積) が減少する構造的問題です。ここで言う「有効瞳面積」とは、物理的な実際の絞り羽根が完全開放している時の内径直径から計算できる面積を指しておらず、前玉側 (被写体側) から見た時の絞り羽根の像の直径という説明になりますから、ここは実物の絞り羽根の開口直径から捉えた面積ではなことをご確認下さいませ。
そもそも4群4枚エルノスター型光学系から発展した4群5枚プリモプラン型光学系は (但し、光学レンズ系の実務としては、プリモプラン型のような呼称は存在しません)、大口径化と引き換えに、周辺での光線傾斜 (像面へ入る光の角度) が急峻になりやすく、自然口径食 (斜め入射による照度低下) と口径食 (レンズや鏡筒の物理的制限による周辺光束の欠け) が重なりやすい形式と言えます。従ってC.P.Görzの特許出願申請書で対応していた課題とは、その周辺減光に対する改善だったことに納得が行くのです。つまりエルノスター型の光学系第2群に2枚貼り合わせレンズ化を採り入れた根拠には、そういう背景がありました。そこにはベルテレが執拗にこだわりを見せた非接着という意地は介在せず(笑)、むしろフーフの性格的な要素が強いのかも知れませんが、性能と効率優先という思想が、特許出願申請書内の記述にも読み取れています・・。
しかしこの課題に対する実装上の筋道を与えたのは、後年のHugo Meyer & Co. Görlitz在籍のStephan Roeschlein (ステファン・ロシュライン) による構成提示の段階だったと整理できます。つまり祖は1924年のベルテレによって生み出されたものの、その課題追求は翌年1925年にさっそく実施され、しかしおそらくはシネレンズレンズ系でしか試されないままに時間だけが過ぎ去り、ようやく1936年にロシュラインによって写真レンズへの実装化へと進んだというバックボーンが、今回の探索の結果見えてきました。
その結果4群5枚という実装骨格が (再度) 示されて、量産可能なカタチとして具体化されました。そして1955年製 Primoplan 58mm f/1.9 V (M42) に至る段階では、さらに収差配分の再最適化が行われた合理的動機が存在していると、今回の探索で判定しました。
その根拠は「最短撮影距離60cmへの短縮化」です。これは近距離に於ける主光線角 (像点へ向かう中心光線の傾き) の変化を伴い、球面収差や像面湾曲の再配分を必要とする条件です。加えて、戦前とは異なる硝材流通環境の変化は、屈折率と分散 (色の広がり特性) の組み合わせに新たな選択肢を与えているとも考えられます。具体的な硝材名の変化は、この1955年製モデルが登場した時点での設計指図書など、一次資料が公開されていないために不明なままですが (そのため仕方なく、今回の探索では1936年時点の硝材名を候補として参照しています)、今回扱った個体を完全解体した際に取り出した光学ガラスレンズをデジタルノギスを使い実測することで (放射線量の計測まで実施) そこに前提情報の『根拠』を得ています。
提示した4つの曲線グラフの形状が示しているのは、1936年段階の骨格がそのまま固定的に残存しているグラフ像とは明らかに異なり、周辺光束不足の出方や、像面湾曲の変化が急峻ではなく、連続的で滑らかさを維持したままの形を示していると理解できます。MTFは周辺で段階的に減衰し、像面湾曲は中心から外周へ穏やかに推移し、歪曲も連続的です。これは量産段階に於いて収差バランスが再均衡されていることと整合していると受け取られないでしょうか。
従って今回扱った個体は、課題の提示はC.P.Görz段階にあり、実装骨格はRoeschlein段階で定まり、1950年代量産段階で収差配分が再最適化 (つまり再設計) された三層構造の上に成立していると位置づけられました。周辺照度低下という根本課題を抱えながらも、像を破綻させず、中心と周辺の変化を連続的に収める方向へ整えられた到達点として、この個体の描写性 (このモデルの描写性) が理解できたのです・・とここでこのように語っても、おそらく多くの方々には信じてもらえないでしょうから(笑)、ここでさらに『証拠』を掲出せざるを得ません・・(汗)
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↑上に挙げた光学系構成図は、戦前モデル (冒頭に掲出したモデルバリエーション一覧で言うところの❹) と、今回扱った1955年製個体 (同様⓬) について、それぞれオーバーホールで完全解体した際に取り出した光学ガラスレンズと鏡筒などをデジタルノギスを使い実測した実測値と、それに基づくトレースから作図した光学系構成図です。この2つの光学系構成図 (あくまでもトレース図) から読み取られる、直前までの長い解説 (或いはまさに直前の解説) に対する検証を最後に試みたいと思います。
実測比較という根拠 ― 戦前個体と1955年製個体との比較という事実 ―
重要なのはここです。この2つの光学系構成図が示す差は、決して形式変更で語られる話ではなく物理的、且つ現実的な「曲率配分の変更」という事実です。つまり4群5枚プリモプラン型光学系という設計思想は継承されながらも、各レンズ面の曲率半径や間隔が再配分されたという、数値的最適化が再実施された構造が確認できたのです。
前述のとおり、最短撮影距離70cm (戦前個体) から60cm (1955年製個体) への変更という事実は、近距離に於ける主光線角 (像点へ向かう中心光線の傾き) の変化を意味し、球面収差 (焦点位置が光線の通過位置によってズレる収差) の再配分を検討する動機としては十分です。さらに、硝材の流通環境が戦前と1950年代で異なるなら、屈折率 (光の曲がりやすさ) と分散 (色の分かれやすさ) の組み合わせとして、その再調整が必要になる条件も自然に導かれます。従って単に機械的な変更 (鏡筒の延伸という製品設計の訂正作業) だけに済まされない要素も十分に含んでいるとの推論に位置しています。
それはこの二つの実測トレース図 (光学系構成図のこと) の比較によって、完全証明ではないものの、構造差としての視覚的 (実測値としての) 裏付けは可能という判断にあります。戦前設計と1955年量産個体との時間的な経過、及び最短撮影距離の変更という事実、そこへ完全解体して取り出した光学ガラスレンズの実測値が加わった時『根拠』として共有する情報量としては十分なのではないでしょうか。つまり各光学ガラスレンズの曲率半径が変わり、厚みも空間配置の距離まで変化していった時、そこには『根拠』が成立し、且つそれが与えるのは『理由 (動機)』と言う逆算的な関係性になりますから、この道理を覆す何かが現れない限り、判定だけは残ってしまうと当方の個人的な思考なのです。
いずれにしても、今回扱う個体はプリモプラン型光学系にとっての最終形態であるとの指摘だけは間違いがなく (但し復刻版を除いた場合の話)、1893年のテイラー発明クックトリプレット型思想から発展したエルノスター型の欠点を補いつつも、1936年にロシュラインによって追求された実装形態のその後の「姿」なのだと納得できました。
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話が突然変わってしまいますが、当の本人ロシュライン (Primoplan 5cm f/1.9の光学設計者) は、実はこのモデルの実用新案を申請した日付が1936年6月17日の受領印として確認できています。ところが1936年7月1日には、Jos. Schneider Optische Werke (つまり戦前のSchneider-Kreuznachの正式名称) の「Leiter des Rechenbüros (設計局副部長)」の椅子に座っていたことになりますから(笑)、Hugo Meyer & Co. Görlitzでの最後の仕事としての、ヤッつけ仕事だったことが分かりました!(驚) なかなかに可憐な転身をヤッてのけたものです。しかも当時のSchneiderでは、彼の有名な「Albrecht Wilhelm Tronnier (アルブレヒト・ヴィルヘルム・トロニエ)」が、やはり1936年6月30日付で退職していますから、要は後釜だったことが分かります。実際ロシュラインは戦後もSchneiderに在籍し続け、XenonやXenotar、Symmar、Compononなどの系列を光学設計しましたから、或る意味戦後Schneiderの主要レンズ系の味付を担っていた光学設計者の一人だったことが分かります。
Meyer-Optik Görlitz製オールドレンズ系列からすると、戦後のSchneider-Kreuznach製オールドレンズの製品設計は複雑怪奇の極みなので、現在は取り扱う気力がもぅ湧きませんが(笑)、その中に実装していた光学系がロシュラインの設計なのだと分かると、それはそれで何か親しみを感じたりするから不思議です。確かにガウス型の中にあって描写の中に繊細感が残る出し方 (表現性) などに親近感を覚えます。もしかしたら或る意味、Meyer-Optik Görlitzでは成し得なかった光学設計の追求を、Schneider-Kreuznachで現実のものへと昇華させたのかも知れませんが、標準レンズ系でそれをヤッていたワケですから、やはりのこの人も真っ直ぐに「光軸を歩き続けていたひとり」だったのやも・・知れません。
ちなみに戦後の1948年には、自身の会社「Optische Konstruktionsbüro Stephan Röschlein (ステファン・ロシュライン光学設計事務所)」をドイツ南西部のBad Kreuznach (バート•クロイツナッハ) に立ち上げ、事務所経由にてSchneider-Kreuznach社に光学設計を提供し続けていたようです。
㊧はほぼネット上では目にしない、自署する際に用いられていたスタンブで実際に自署が確認できます。内容はドイツ語で「ROESCHLEIN Optisches u. feinmechanisches Institut Inhaber Stefan Roeschlein (光学および精密機械研究所オーナーステファン・ロシュライン)」であり登記上の名称ではないことから、自分の自署のために使っていたスタンプだと推測できます。
この会社名は登記上の正式名称ですが、ちゃんとブランドを用意しており「Roeschlein-Kreuznach (ロシュライン・クロイツナッハ)」も商標登録していました。そして嬉しいことに、プリモプラン型の光学設計は、実にレンジファインダーカメラ「Paxetteシリーズ」向けの供給レンズにもそのまま採用されており、まさにこの事実こそが、プリモプラン型の光学設計者であった『証拠』として語られるのではないでしょうか (つまり実用新案申請出願日の1936年6月17日以降、戦後の事実/実態としても確認できるのです)。具体的な量産品の例があります・・・・、
▪Luxon 50mm f/2
▪-E- Luxon 50mm f/2
▪Telenar 90mm f/3.8
▪Luxon 105mm f/4.5
▪Telenar 135mm f/5.6
▪Luxette / Paxina / Arette Favorit・・
・・こんな感じです。この中でプリモプラン型の光学設計を実装していたのはブルー色文字で表したモデルだけになります。
㊨写真は当方が過去にオーバーホール済でヤフオク出品した個体写真の転載ですが、レンジファインダーカメラ「Paxetteシリーズ」のフランジバックが44mmなので、いくらマウント規格が「M39」と言う、内径39mm、ネジピッチ1mmにしても、そのままLTMとして使うことは不可能です。
仕方ないので、SONY Eマウントアダプタに装着できるよう、マウント部を工夫して使えるようにした時の撮影です (とッても懐かしいです!)(涙) これはこのモデルの最短撮影距離が1mだった為に、マクロヘリコイド付マウントアダプタを経由させることで製品仕様上の1mから、最短撮影距離を最大で23cmまでシ〜ムレスに短縮化させた「疑似マクロ化」レンズとしての性格を与えた、整備作業時の工夫の仕上がりとしてヤフオクに出品したものです。これはマクロヘリコイド付マウントアダプタだけで使うなら無限遠位置〜1mを仕様上そのままに使えるように仕上げており (いわゆるマクロヘリコイドだけのマウントアダプタを使っていちいち無限遠位置を都度合わせる方式ではなく、カツンと音を立てて突き当て停止した位置がまさに仕様上の無限遠位置と言う、オリジナルのまま特別な整備です)、このままSONYに装着して使えるのですが、マクロヘリコイドを繰り出すと (最大で5mm分まで繰り出し可能) その時の最短撮影距離は44cmまで短縮化されますから、イッパシの1970年代辺りの標準レンズ並みに近接撮影が適います(笑) それだけで飽き足らずエクステンションを介在させると最大で23cmですから、もぉ〜ボケボケ状態で、然しプリモプラン型らしい芯のある解像感を残してくれるので、当方が勝手に造語として作った『疑似マクロ化 (疑似マクロレンズ)』と言う話だったのです。
が然し、予想に反して (本人はいたってウキウキ状態で整備したのですが) 人気がなくて、なかなかご落札頂けずに、最後は値下げしてやっとのことで新しい主人の下に旅立っていきました・・(涙)

↑上に挙げた図は、その時に (前述の整備した時に) 取り出した光学ガラスレンズをデジタルノギスを使って実測した時の実測値を基にトレースした光学系構成図です。今回扱った1955年製の個体が㊧になり、Primoplan 58mm f/1.9 V (M42) ですが、㊨がPaxette版 Luxon 50mm f/2 (M39)になります。
・・ねッ??? そっくりでしょう???(笑) 兄妹の関係でしょうか。
何処となくPaxette版のほうがトリプレット型の要素を強く継承しているかのように、その描写の傾向を眺めていて印象したので、勝手に独断で兄妹と結論づけました・・go・men・na・sai!
むしろこの形態は「初期型」のPrimoplan 5cm f/1.9の頃の光学設計にも似ているように見えてしまい、当方的には海外オークションebayで発見した瞬間に瞬札でポチッとなしてしまい (然ししっかり価格交渉はしている)、遥々オランダ ~ アンカレッジ ~ 日本と届いた個体だったのですッ。然しいったい何故にオランダからわざわざアンカレッジに降りたのか???(汗) そうなのです、小包がミスッてアンカレッジ行きの便のコンテナに入ってしまい、アンカレッジでカッチカチに凍っていると連絡が入り、焦ったのを記憶していますね(笑) 出品者の責任ではなかったのに、何と日本とニッポン人が大好きな出品者だったために、お詫びの品として、数カ月後にはオランダから出品者自作の陶器が届いたと言う曰くつきのモデルだったのです (そうなのです。出品者の本業は陶芸家でした)。今もマイカップとして愛用させて頂いています・・!(涙)
↑上の写真はそのLuxon 50mm f/2の実写です。如何ですか??? 当方的には下手すると本家Primoplan 58mm f/1.9よりも、こちらのほうが「f値に余裕がある分、力強さを感じる」くらいで、好きだったりしますッ。
巷ではこのPrimoplan 58mm f/1.9の写りを使ってハイキ〜寄りに仕向けて撮影し「これがオールドレンズだ!」的に仕向けているプロの写真家も居ますが、当方的にはそういう偏重的な志向には決して賛同できませんッ。確かにハイキ〜で低コントラストの写りに魅力を感じる方もオールドレンズたる所以を重ね合わせて魅力を感じる人達も多いのでしょうが、少なくとも当方の感性自体が「自分の瞳で見てるがまま」を基準に据えているため、とても低コントラストに仕向けた写りを見ていて、オールドレンズの写りだと納得できる気持ちにはなりませんね (だって、そう見えていないから)(笑)
その後、Paxette版の「なんちゃってマクロ」の整備は、一度だけご依頼者様の懇願を受けて2本目を扱いましたが、けっこう大変なので、今は懐かしい思い出になっています・・(祈) 上の写真からも十分に妄想できますが(笑)、このピント面の鋭さ感のままに背景がトロットロボケになりますから、まさに「なんちゃってマクロ」との命名だったのです(笑)・・ポイントは、仕様上の能力をオリジナルのままに維持したまま、且つ最短撮影距離を1m → 44cmまで自在に (感性の赴くままに) 操作性優先で使えるよう仕向けた整備でしたッ。当方は自身のポリシ~として、研削や切削などの改造をオールドレンズ内外に施さないスタンスなので、あくまでもオリジナルと言う要素は、とても重要なのです (それでも44cmまで短縮できる/但しマクロヘリコイド付マウントアダプタの介在だけは必須ですが)! ヘリコイドオスメスのネジ込み位置を変える必要があり、その際に単にネジ込み位置を変えただけではダメなので、別の工夫が必要なのです(笑) 「原理原則」を知っていれば、誰でも同じことができますョね??? 従って純粋にマウント部に変換リングを接着する手法 (一時期流行りましたが) とは別モノの着想と仕上がりなのですッ。
ちなみにモデル銘に「-E-」付があるのは、Paxette側で中盤から「距離計連動機構」が装備されたことに対応したタイプを表しており、ドイツ語の「Entfernungsmesser (距離計)」の頭文字を採った表記であり、レンズ銘板にも刻印されています。
・・ここまで、余談を語ってしまい大変申し訳ございませんでした。
たかがオールドレンズの話なのですが、このように経過が見えてきたり、光学設計者の関わりや、その後の遍歴などまで知ってしまうと、また一層このモデルに対する思い入れが増すのが『人情』と言うものではないでしょうか・・会社Optische Konstruktionsbüro Stephan RöschleinとRoeschlein-Kreuznachの商標は後に1964年Optisches Werk Julius Ernst Sill (現在の Sill Optics) へ事業売却され消滅しました。そしてStephan Roeschleinも1971年1月10日にバート・クロイツナッハ市で82歳で亡くなっています・・ご冥福をお祈り申し上げます。

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オーバーホールのため解体した後、組み立てていく工程写真を解説を交え掲載していきます。すべて解体したパーツの全景写真です。
↑ここからは完全解体した後に、当方の手により『磨き研磨』・・つまり『DOH』・・を施した各構成パーツを使い、オーバーホールの組立工程を進めていきます。今回扱うモデルはバリエーションの中で言えば「後期型−I」にあたります。例えば完全解体していった時の各バリエーションの推移を示すと以下のようになります。
↑上に挙げた写真は当方が過去にオーバーホールした、各モデルバリエーションの代表写真です。
㊧:❹ 戦前型
㊥:❺ 前期型−I
㊨:❽ 中期型−I
このように見ていくと「戦前型」は真鍮材/ブラス材で造られており、光学系各群の光学ガラスレンズも全てがモールド一体成型だったことが分かります。戦後の「前期型−I」や「中期型−I」の段階でも光学ガラスレンズはモールド一体成型でしたが、今回扱う「後期型−I」から、前玉と後玉だけがモールド一体成型から単独へと変化しました。
また今回扱った「後期型−I」の全景写真を見ると、手前左端に「円形バネ」が1本並んでいます。このバネ材はプリセット絞り機構が初めて導入されたことを証明する『証拠』にもなっていますが、上に挙げた各モデルバリエーションの中には含まれておらず、つまりは手動絞り (実絞り) 方式と言う製品設計だったことが分かります。
外見から手動絞り (実絞り) 方式とプリセット絞り方式の区別を見分ける方法は分かりにくく、絞り環の指標値マーカー以外にもう一つマーカーが存在すれば、プリセット絞り機構を装備していると判定できます。一方でこのように完全解体してしまえば明白になると言う話でもあります。なお、上に付している番号は、前のほうに掲示のモデルバリエーション一覧に示していた番号ですから、仕様上の違いも照会すれば分かると思います。
↑上の写真は、当初バラした直後に取り出したヘリコイド群一式ですが、溶剤洗浄する前にそのまま撮影しています。
今回のオーバーホール/修理ご依頼者様は、勘が鋭く「白色系グリース」が塗られていたことを言い当てていらっしゃいました・・素晴らしいですッ!(驚)
なかなかご依頼者様の中で「白色系グリース」の塗布を的中できる方は少ないので、ちゃんと普段から「トルク」に対する意識をしっかりお持ちの方なのだと関心しきりです・・。
もちろん塗布した時は白色だったのでしょうが、経年の中でご覧のように「濃いグレー」に色合いが変質します。色だけが変わるのであれば当方は全く問題視しないのですが、問題なのはこの「グレー色」の理由です。
この「グレー色の古いグリース」を綿棒ですくい上げ、透明な溶剤の中に静かに入れると、グレー色の成分によって液剤が濁ると同時に、サラサラと微細な銀色の粉末として瓶の底に沈殿していきます。非常に微細な粉末状に銀色の「何か」が沈殿するのです。その銀色が何かと言えば、この場所ヘリコイドオスメスの関係性からは、アルミ合金材であることは明白です。
ところが「黄褐色系グリース」を塗布していた場合、古いグリースはこのように「濃いグレー状」には変質しません。実際は確かに経年数が多ければ相応に液化が進行しますが、それでも色の変質は確認できず、しかも同じように透明なな溶剤の瓶に静かに入れても、溶剤が汚れるだけで底には何も沈殿しないのです。
・・この「差」をどのように説明されますか???
但し「白色系グリース」と一言に語っていますが、正しくはグリースは無色透明なので、色を足しているにすぎず、必ずしもグリースの成分に配合や添加剤など種類は「色味だけで判定できない」のが本当です。
従って「白色系グリース」でも成分や配合に添加剤レベルで調べると「黄褐色系グリース」と同じの性質のグリースもあるので、一概に固定観点で捉えることはできませんが、多くの場合でシリコーン系のグリースと指摘できます。確かに現代に於いては最先端のグリースなのでしょうが、これらオールドレンズが製産されていた当時には、少なくとも未だ開発されてなかったグリース種別なのではないでしょうか???
実際、塗布されていた古いグリースが「黄褐色系グリース」であれば、経年劣化進行に伴いトルクが変化するにも「固着化」までは、相当な時間を要します。とろが「白色系グリース」になると、上の写真のような「濃いグレー状」を経てから、ザラザラ感や擦れ感を掴んでいる指が感じつつも、やがてトルクが重くなり、いずれは潤滑成分がほぼ揮発してしまい「ヘリコイドの固着化」へと進んでいきますが、少なくとも「濃いグレー状」に変質するのはほぼ即座に変わります。また早ければ1年、長くても数年で揮発油成分の液化が進行し「ヒタヒタ状態」に変質してきますから、凡そ「黄褐色系グリース」に比べて対応年数はそれほど長くないように認識しています。
実際「黄褐色系グリース」と「白色系グリース」に「アルミ合金板」を使った、ちょっとした実験などは『第61話:DOHの勧め・・』で詳細を説明していますので、ご興味ある方はご高覧下さいませ。
従って当方自身としては既に確立できていますが、そうは言っても意識の中で確立できているままでは説得力に欠けますから、実際に当方がオーバーホール作業してきた15年間の中で、具体的に整備した時点から遡ること2年前、3年前、5年前、6年前、7年前、8年前、そして9年前と、実際に当方が整備した個体がヤフオクに流れていた機会を発見し、その個体を実際に落札して手に入れ、再び完全解体して確認を行うと言う『検証作業』を実施しています。もちんそれら個体は、もう一度整備し直して (と言っても、既にDOHも終わっている為、単にグリースを新旧入れ替えた後、再び組み上げただけですが) ヤフオクにオーバーホール済で出品して検証し終わっています。
その結果見えてきたのは、当方が塗布した「黄褐色系グリース」は、凡そ7年後まではオールドレンズ内部に具体的な揮発油成分が廻ることを確認できず、整備状態を維持できていたことを確認できました。さらに8年後〜9年後になるとようやく揮発油成分が目視できる状態まで確認できるものの、それは決して液化ではなく「金属材を指で触れば湿っているのが確認できる程度」であることまで確認でき、要は「ヒタヒタと液化するにはさらに数年の時間を要する」との結論にて、検証終了したことがあります。
その検証結果から、当方にて行う整備の耐用年数は「凡そ10年」との判定を下しましたが、このように具体的検証を以て自身の整備状況を把握している為、もちろんそれは整備後の個体に瑕疵が発生した場合の「再整備」時にも該当していた結果の当方意識として確立できている次第ですッ。
おそらくはヒタヒタ状態の液化進行にはさらに10年前後を要し、それからヘリコイドの固着を迎えるにはさら10年と言う憶測から、30年も使い続けると、まさに赤信号点灯と言うイメージで今は考えています。逆に言うなら「当方の整備はせいぜい10年しか耐性が無い」と言うリアルな現実であり、はたしてそれで「整備したと言えるのか!」との詰めに対しては、何とも明確な回答ができないと言う状況で、皆様には真に以て申し訳ございませんッ。
↑ここからは『DOH』が終わった各構成パーツを使いつつ、組立工程に入っていきます。
絞りユニットや光学系前後群が格納される鏡筒です。鏡筒には側面に1箇所だけ、赤色矢印で指し示している箇所に切り欠き/開口部/スリットが備わり、そこを経由することで内部の絞りユニットと絞り環が連結して、絞り環操作が絞り羽根の開閉動作に連結する仕組みです。
なおブルー色の矢印で指し示している箇所に白っぽくサビのような箇所が視認できますが、これはサビではなく「メッキ加工ムラ」であり、製産時点の話に成らざるを得ません。
↑奥にあるのは鏡筒です。前玉側方向から覗き込むとこんな感じに見えます。最深部に穴がいくつも空いているのは、そこに絞り羽根の「位置決めキー」と言う金属棒が刺さり「軸として機能する」結果、絞り羽根が開閉動作します。
❶ 開閉環
❷ C型留め具
開閉環 (❶) で絞り羽根をサンドイッチして挟み、且つその上から今度はC型留め具 (❷) で❶を押さえ込む為、絞り羽根が脱落せずに駆動します。これは『弾性座屈』と言う金属材に於ける物理現象から起因する挙動で、絞り羽根が最小絞り値側に近づくに従い「前玉側方向に膨れ上がる現象」を指し、結果位置決めキーが脱落することを防ぐ役目としてC型留め具 (❷) が備わります。
◉ 弾性座屈 (だんせいざくつ)
細長い金属部材に軸方向圧縮力が加わった際、臨界荷重を超えると直線形状を維持できず、横方向へ急激に変位する力学現象を指す
細長くて薄い肉厚の金属部材 (絞り羽根) が、両端から真っ直ぐにチカラが加えられた時、ある一定のチカラには耐えるものの、その耐性を超えるとチカラを逃がしやすい方向に歪んで変形する原理と説明すれば、理解できるでしょうか・・。
従って、例えばこの場合 (絞りユニットの場合) で捉えると、鏡筒の最深部にセットされる結果、絞り羽根が回転する時のチカラは円周方向に逃げるにも「鏡筒内壁によって限定される」と同時に、実は内径方向も「互いの絞り羽根が重なり合っている」ことから物理的に内径方向に逃げるチカラも制限を受けている立場にあります。
すると位置決め環側が「底面になっている」結果、一番先に最も開放に近い方向性を帯びて逃げようとするチカラが進む方向は「上しか無い (前玉側方向しか無い)」と言う話になり、絞り羽根を最小絞り値側方向に近づくに従い「上に膨れ上がる」物理現象として説明できるのです。
これは現在のデジタルなレンズに於いても、回転方式の絞り羽根を装備している限り発生する物理現象なので、必ず最小絞り値側方向で絞り羽根は上に膨れ上がろうとします。それを押さえ込みつつも滑らかでスムーズに絞り環操作を実現するよう製品設計していることになりますね・・。
↑上の写真は開閉環 (❶) ですが、ご覧のように2箇所にネジ穴が用意されていました。赤色矢印で指し示している箇所が製産時点を表し、ブルー色の矢印が指し示している箇所は、過去の整備時にドリル穴開けされたと思いきや、実は「別モデルの転用部品だった」との当方判定に結論しました。その根拠は「水平垂直位置がズレていない」と指摘でき、製産時点以外でドリル研削されたとは考えにくいとの考察によります (もちろん3D計測しての判定ではありません)。
絞り羽根には表裏に「キー」と言う金属製突起棒が打ち込まれており (オールドレンズの中にはキーではなく穴が空いている場合や羽根の場合もある)、その「キー」に役目が備わっており (必ず2種類の役目がある)、生産時点でこの「キー」は垂直状態で打ち込まれています。
◉ 位置決めキー
「位置決め環」に刺さり絞り羽根の格納位置 (軸として機能する位置) を決めている役目のキー
◉ 開閉キー
「開閉環」に刺さり絞り環操作に連動して絞り羽根の角度を変化させる役目のキー
◉ 位置決め環
絞り羽根の格納位置を確定させる「位置決めキー」が刺さる環/リング/輪っか
◉ 開閉環
絞り羽根の開閉角度を制御するために絞り環操作と連動して同時に回転する環
◉ 絞り羽根開閉幅
絞り羽根が閉じていく時の開口部の大きさ/広さ/面積を指し、光学系後群側への入射光量を決定づけている
…………………………………………………………………………
この㊧写真での注目ポイントは、ブルー色の矢印で指し示している箇所の形状です。この絞り羽根1枚だけが僅かに異なるカタチでカットされているのが分かります。実はこれら絞り羽根は、薄い1枚の板金状態のままにプレッシングの際、表裏両端にキー (開閉キーと位置決めキー) が打ち込まれつつも、同時にカッティングされる製造工程を経ていたことが、このブルー色の矢印によって『証拠』として判定できるのです(笑)
実際にはこのモデルの場合、全部で14枚の絞り羽根が実装されますが、その14枚の絞り羽根のこの箇所だけは「カッティング形状がバラバラ」なのがチェックすると確認できるのです。つまり製産ライン上でこれら絞り羽根は「枝豆の房状態にブラブラぶら下がったままプレッシング工程が終わっていた」ことになり、それをニッパーか何かの工具を使い、工員が1枚ずつ手作業でカットしていたのです!(驚) 従ってこのようにいい加減なカットを行う工員も居れば、キレイにピタリと形状を合わせて切り取る工員も居て、なかなかですョね(笑)
↑然し今回の個体で問題になったのはひとつ前の話ではなく、こちらの話です。右側が正常な絞り羽根ですが、左側はご覧のように上方向に膨れ上がって「中心部が山の形に盛り上がるへの字型」に変形しています。赤色矢印の箇所で明確に両端を横断的に線が入り、一方ブルー色の矢印の箇所で「斜め方向に山の形に折れている」のが確認できます。
つまりこれこそが前述した「弾性座屈」のまさに『証拠』と言う話になります。するとチェックしてみた時、14枚のうち凡そ1/3ほどの絞り羽根でこのような変形が確認できましたが、それぞれでその変形の形状がバラバラなのですッ。そこから視えてきた事実は「過去メンテナンス時に絞り羽根を1枚ずつ油染みの清掃作業を行った」ことが判明し、且つその際「薄い絞り羽根なのに、無理なチカラを加えて折れ曲がってしまった」結果、バラバラに変形しているのではないかと推測しました・・真実は分かりませんが、おそらくそういう状況ではないかと思います。
仕方ないので、今回の整備ではそれら変形してしまった絞り羽根全てを「平坦に戻す作業」を実施しています。何故なら「弾性座屈」が最小絞り値側方向に向かうに従い強まる物理現象から、開閉キーや位置決めキーの脱落を防御する意味合いとして (何しろ薄い絞り羽根なので) 将来的な負荷を残さないよう配慮して作業しています (もちろん今回の整備時に危急的に必要な作業ではない点であることは、申し訳ございません)。もしも仮に今後絞り羽根の油染みが発生した場合も、同様に既に現れている絞り羽根の変形は、キー脱落の致命的要因に向かいますから、今後の「油染み」にも要注意なのが、このような薄い絞り羽根の場合の留意点になります。
↑14枚の全ての絞り羽根を組み付けて鏡筒最深部に絞りユニットが組み込み完了しました。
↑完成した鏡筒を立てて撮影しています。写真上方向が前玉側の方向になります。
↑鏡筒の側面には幾つかのネジ穴が用意されています。赤色矢印で指し示している箇所のネジ穴が「制限板」と言う構成パーツ向けの固定用ネジ穴です。またブルー色の矢印が指し示している箇所は「鏡筒位置確定キー」と言うネジで、このモデルの製品設計では必ず鏡筒の固定位置が1箇所に決まるよう仕向けられています (つまり整備のたびに微調整する必要がない)。さらにグリーン色の矢印で指し示している箇所には「光学系後群格納筒用の締め付け固定用ネジ穴」が備わり、そこに全周で (均等配置で) 3本のイモネジによって締め付け固定する手法を採っています。
◉ イモネジ
ネジ頭が存在せずネジ部にいきなりマイス切り込みが入るネジ種で
ネジ先端が尖っているタイプと平坦なタイプの2種類が存在する。
大きく2種類の役目に分かれ、締め付け固定位置を微調整する役目を兼ねる場合、或いは純粋に締め付け固定するだけの場合がある。
つまりこのようなイモネジを使って3方向から均等に締め付け固定することで「光学系後群格納筒を固定している」ワケですから、整備後に「光路長や光軸の芯の検証作業が必須」と言うモデルであるとの道理になります。
実際今回のオーバーホール/修理でも、当初バラす前時点の実写確認時には「無限遠位置のピント面が僅かに甘い印象」に感じた為、自動的にこの光学系後群の格納状況をバラす前段階から疑ってかかっていました(汗)
このように当時のMeyer-Optik Görlitz製オールドレンズの多くのモデルで、凡そ光学系後群はイモネジ3本による締め付け固定を製品設計として採っていましたから、そのまま1968年のPENTAOCN配下に成り下がってから以降も継承されてしまい、とても多くのPENTACON製モデルすら、同じようにイモネジ3本による締め付け固定により光学系後群格納筒を固定していますから、最低限Meyer-Optik Görlitz製モデルと、PENTACON製モデルに関しては「整備後の芯チェック」は欠かせないという話にならざるを得ません。
すると世の中には、この後群格納筒を一切取り外さずに整備している整備者も居るので (実際工程途中の写真で確認済) その外さなかった個体の芯出し (芯のチェック) はどうしていたのか、記載がありません。要はそういう話なのですッ。
↑実際にイモネジで締め付け固定されていた『証拠』として上の写真を撮影しました。上の写真は光学系後群格納筒を横方向から撮影し、且つ後玉の露出面側方向は左に位置します。赤色矢印で指し示している箇所に全部で3箇所の痕跡が確認できました・・つまり全周で9箇所残っています。
この痕跡から分かることは、3箇所だけが製産ライン上での締め付け位置であり、それはおそらく専用治具をちゃんと用意していて、この光学系後群格納筒の固定の際に確認しながら一発で、イモネジを締め付け固定していたと考えられるからです (そうしないと効率が悪くて仕方ないから)。
だとすれば、上のように他の2箇所は過去メンテナンス時の締め付け痕であり、少なくても1回、多ければ2回は締め付け固定を試みていたと判定できるのです。
↑なお、その同じ光学系後群格納筒の裏側を撮影していますが、この面は絞りユニット側方向に位置する面になります。するとご覧のように赤色矢印で指し示している箇所が、光学系第3群の光学ガラスレンズのコバ端であり「モールド一体成型」なのかが分かります。ところがこのように白く見えているワケで、ブルー色の矢印が指し示している箇所は、その映り込み領域になります (反射して写っている領域)。さらにグリーン色の矢印で指し示している箇所は、モールド一体成型した境界部分のアルミ合金材で「反射防止黒色塗料」が剥げてきているのが分かります。
↑上の写真はその同じ光学系後群格納筒ですが、今度は後玉側方向の正面から覗き込んで撮影しています。するとグリーン色の矢印で指し示している箇所のように「反射防止黒色塗料」が相当内側まで着色されていたことが分かり、この事実からおそらく過去メンテナンス時に着色されている「反射防止黒色塗料」ではないかとの判定に成らざるを得ません。
↑そのような考察に至った為、実際に溶剤を使い拭いてみると、ご覧のようにモールド一体成型時の境界であるアルミ合金材が露出してきました (グリーン色の矢印の箇所がアルミ合金材)。赤色矢印で指し示している箇所は光学ガラスレンズそのモノです。
従って当方が一つ前の写真で特に問題視したのは「内側までこのように乱れて汚く残る着色痕」の結果、組み上がってからの撮影時に、特に玉ボケのような円形ボケのエッジ部分に「この汚れの状況のままに汚く映り込む」との憶測から、神経質な当方的には黙って見過ごせなかったのですッ。
もちろんこの後に、当方にてもう一度「反射防止黒色塗料」を再着色して組み込んでいます。
確かに焦点距離58mmの標準レンズ域モデルですから、玉ボケ (いわゆるイルミネーションのような円形ボケのことを指す) と言えども、たいして大きく写るワケではありませんが、万が一そのような玉ボケのエッジに、このような汚れ状が視認できてしまった時「あッ! これって塗料の残り」と気づいてしまったら、それ以降気になってしまう人だって (当方と同じように) 居るのではないかとの妄想でしかありません。そこに配慮するのかどうかは義務ではありませんが、然し『人情』ではないかと言うのが、当方のスタンスでもありますッ。
・・当方が自らの整備を『人情整備』と感じているのは、そういう面があったりします。
↑せっかくなので、光学系前後群の光学ガラスレンズを一堂に並べて撮影しました。赤色文字で表記しているのが光学系前群であり、光学系後群側はブルー色文字になります。またグリーン色の矢印が指し示している方向は、前玉の露出面側方向を表す為、後群側は絞りユニットで向きが反転する結果、グリーン色の矢印の向きも反転しています。
↑同様ヒックリ返して、今度は裏面側を上に向けて撮影しています。
↑完成した鏡筒を立てて撮影していますが (写真上方向が前玉側の向き)、ご覧のように鏡筒最深部に組み付けられた絞りユニットの「開閉環」に用意されているネジ穴は、上の写真ほうが適正なのだと理解できます (上の写真は完全開放状態で撮影しているから)。右側のネジ穴を開放位置で基準に据えて組み込むと、完全開放しませんし、もちろん最小絞り値にもなりませんから、適正なのは左のほうのネジ穴と言うことになります。
↑オーバーホール工程を進めて「制限板」を皿ねじ2本を使い、締め付け固定した所です。微調整箇所ではないので一意に固定されます。
↑さてッ。ここからが多くの整備者で、適正な整備作業が実施できていない問題箇所になります。実際、今回の個体でも以下のような瑕疵内容が発見できていましたから、一つずつ今回のオーバーホール工程内で潰して改善させていきます。
《オーバーホール/修理のご依頼内容》
❶ 距離環を回すトルクが擦れ感強く重い (白色系グリースの劣化ではないか)
❷ 絞り環操作がザラザラで擦れ感が強い
❸ オーバーインフ量が多く、距離指標値の10mと24mの間くらいで無限遠合焦
《完全解体後に当方が気になった内容》
❹ 白色系グリースが塗布されており、濃いグレー状になっている
❺ プリセット絞り機構部や絞り環にグリースが多量に塗られている
❻ 光学系後群格納筒のイモネジ固定が不適切
❼ 直近のメンテナンスは割りと近年だったか・・
❽ 直進キーの反発式スプリングの片方が切削されている
・・こんな感じです。❶をちゃんと気づかれていらっしゃる時点で、素晴らしいですッ!
❷の理由は❺ですね。また❸の理由は❻に直結していると推定します。
上の写真の説明に戻りますが、先ずは上の写真のとおり確実に「プリセット絞り環」と「絞り環」の区別を正しく指摘できる方が、意外にも少ないのがリアルな現実だったりします。それはこのようにバラしてからの話でなく、オールドレンズの状態で既にこれら2つの区別が間違っています。中にはプロの写真家ですら逆に認識している人が居たりするので、それって自分の撮影時の挙動と違うのに何故・・と言う話にしかなりません(笑)
この点について、ここから内部構造を『根拠』として解説していきます。何故なら、この誤認識の結果、絞り環操作の擦れ感が強まると同時に、実は「グリースの塗布が必要な箇所に、グリースが塗られていない」と言う別の問題が起きているからに他なりません。
このモデルの場合「絞り環」になるのは「絞り値が刻印されているほうの環」であり、一方の平目模様にジャギー研削されているローレット (滑り止め) を備えるほうは「プリセット絞り環」です。これを逆に捉えている人達が多いのがリアルな現実です。
さらに「プリセット絞り環」の下部には「制限壁」と呼ぶ突出が用意されており、それによって絞り環の駆動域が限定されるよう製品設計されています (ブルー色の矢印)。
また一方の「絞り環」のほうにも「確定キー」ネジがセットされており、その位置でプリセット絞りの機能の開始位置を「確定する」から必要なネジなのです (グリーン色の矢印)。
つまり整備者の中で、これらの違いを語ることができない整備者は、凡そ「バラした時の逆手順でしか組み立てられない整備者達」と明言できるレベルなのです。要はオールドレンズの「原理原則」を知らないままに整備している整備者達と言えば、ご理解頂けるでしょうか(笑)
↑実際にこれら2つの環/リング/輪っかを組み込むと、こんな感じに仕上がります。「制限壁」に対して「確定キー」の位置が関わっていることが明白です。然しよ〜く見ると「制限壁」と「確定キー」との間に隙間が少し残っているように見えます。その理由も後ほど明白になります。
↑鏡筒の側面に皿ネジ2本を使い締め付け固定した「制限板」との関係性に於いても、まさにこの「確定キー」の存在が明確になります。また上の写真の通り内側にセットされていた「確定キー」は、そのネジのお尻が露出して見えています (グリーン色の矢印)。
さらに赤色矢印で指し示している箇所に見えている四角い切り欠き/スリット/溝が「絞り値キー」と呼ぶ「プリセット絞り用の設定用の溝」であり、ひとつ前の写真に写っていたプリセット絞り環下部に位置する「制限壁」とこの「確定キー」との間が、絞り環の駆動域になる「プリセット絞り機構」と言う原理なのです (この溝に何かが刺さって駆動域が決まると言う意味)。
・・このようにちゃんと製品設計として (当たり前ですが) 構造的に説明できるのです!
当方が勝手に呼び名を決めて呼称しているだけの話ではないのです(笑) 機能として、駆動原理として、このように説明できるからこそ「間違えて認識している人達が居る」と明言しているワケで、ちゃんと道理が通っているのです。
↑絞り環の内側奥には、ご覧のように「セットキー」と呼ぶ金属棒が両サイドに打ち込まれています。同様前述のとおり、両サイドに用意されている「プリセット絞り値キー」と言う切り欠き/スリット/溝 (赤色矢印) にガシッとハマるので、プリセット絞り値がセットされて、開放〜プリセット絞り値までの間で、絞り環操作できるようになる原理です。
つまりここで「開放〜プリセット絞り値までの間」と駆動域が決まる理由が先に説明していた「確定キー」の存在であり、その際「制限壁」が制限板と確定キーとの間で動けるように仕向けられている機構なのが「プリセット絞り機構」なのです。
何を説明しているのか分からないかも知れませんが、このように確実にそれぞれの目的と役目に、動きを逐一説明できるのは、まさに何の為に用意されているのかと言う製品設計面からの捉え方で、認識できているからに他なりませんね(笑)
↑実際にそのプリセット絞り間の操作を理解すれば、自ずと内部構造が浮かび上がるのです。上の写真で赤色矢印の根本がプリセット絞り環であり、ギザギザのジャギーに (平目模様に) 研削されているローレット (滑り止め) の環/リング/輪っかが「絞り環」です。すると一旦直上にこの絞り環を持ち上げてから、設定絞り値 (ここではf/5.6に設定するとして) まで移動させてから、指を離すとブルー色の矢印の方向に強くバネの反発力が働いているので、カチャッと音が聞こえてプリセット絞り値がセットされ (内側の金属棒が溝にハマって)、開放f値「f/1.9 ~ f/5.6の間のみ絞り環操作ができる」つまり絞り羽根が開閉動作する道理になります。
仮にf/1.9にセットしてしまったら、3つ前の写真のように「制限壁と確定キーがほぼ近い位置」なので、開放f値「f/1.9」のままほぼ動かずに絞り環操作できません (つまり完全開放のまま維持)。
如何ですか??? この何処に、撮影時の挙動と異なる動きが介在しているのでしょうか???(笑) その動きとは当時のフィルムカメラでの撮影時の動きを指して語っています。事前にプリセット絞り値を決めて設定してから、ファインダーでのピント合わせの際には、開放状態でピント面を確認するために、いちいち完全開放位置まで回せる必要があるのです。そしてピント面が決まったら、シャッターボタンを押し下げる直前に設定絞り値まで絞り羽根を閉じるからこそ、事前にプリセット絞り環をセットするのではありませんか???・・この何処が違うのでしょうか???(笑)
「絞り環」と「プリセット絞り環」の認識とは、このようにフィルムカメラでの撮影時の挙動に、そのまま合致しているのです。自分が撮影する時の挙動を一切思い返さずに、バラした時の逆手順でしか組み立てられない整備者だから、適切な工程になっていないのです(笑)
↑従ってプリセット絞り機構部の組み立て作業には、上の写真のような構成パーツが関わるのです。
❶ 鏡筒
❷ 絞り環
❸ ヘリコイドオス側
❹ 鏡筒の前後位置確定環
❺ プリセット絞り環
実はこの中で一番重要なのは❹なのです!(笑) この❹があるからこそ適切な無限遠位置で設定できるのに、今回の個体はバラしたところ表裏逆向きに入っていました・・オーバーインフ量が多くなっていた主原因の一つです (原因は他にもある)。
実はこの❹を❸ヘリコイドオス側の最深部にセットしても、ガタガタして固定されませんッ。それこそがこのモデルの製品設計としての「配慮」なのですが、おそらく整備者の多くが気づかないままに組み立てていると考えられます。
↑仮組みですが、実際に組み合わせると、こんな感じでセットします。手前の❺と❷と❹が丸ごと、❸のヘリコイドオス側の内部に落とし込まれます。さらにその後から今度は❶が落とし込まれるのです。要はこれら全ての構成パーツが「落とし込みだけで積み重なっていくだけの製品設計」なのです。それを意識的に整備作業時に汲み入れて工程を進めないから、適切な仕上がりに到達し得ません。たったそれだけの話しです。これらのいったい何処にグリースが必要なのか、或いはグリースを塗布してはイケナイのか、そういう話を今しています。
↑グリースを塗るべき場所と塗ってはイケナイ場所の違いは、このように明白なのです!
ブルー色の矢印で指し示している箇所は、製産時点の「微細な凹凸を伴うマットな梨地メッキ加工 (オリーブ色)」が施されており、潤滑油成分を嫌っていることが明白です。特に鏡筒の内外や絞りユニット内部にグリースなど塗るハズもなく、もちろんその必要性すらあり得ません。それなのに過去メンテナンス時の整備者の多くは、この鏡筒の外壁にグリースを塗ります。
ではいったい何故、生産時点で手間ひまかけて、このような微細な凹凸を伴うマットな梨地メッキ加工を施してきたのでしょうか??? どうしてアルマイト仕上げのアルミ合金材無垢のままの部位と、分けて製品設計してきたのでしょうか???
そういう事柄を一切考えずに、ただバラした時の逆手順で組み立てるから、適切に仕上がるワケがありませんね(笑)
↑問題になる❹が、このようにサンドイッチされているのです。すると絞り環 (絞り値が刻印されているほうの環/リング/輪っか) が回転駆動する時、いったいどこと接触しているのですか???(笑)
・・そういうお話なのですッ。
必要である箇所にグリースを塗らず、必要ない箇所に (むしろ嫌っている場所に) グリースを平気で塗ったくる所為とは、そういう内容なのです。
↑このモデルの製品設計に於ける本質です! 上の写真のように、鏡筒は組み込んでも周囲に隙間が空いているのです (赤色矢印)。何故でしょうか???
↑鏡筒に光学系前後群を組み付けたところです。前述のとおり、後群格納箇所には全周に3ヶ所分で、イモネジのネジ穴が用意されていますが、実は単に光学系後群格納筒を落とし込んでからイモネジで締め付け固定しても・・適切な光路長で仕上げられません(笑)
Meyer-Optik Görlitz製オールドレンズの場合、この光学系後群の固定手法は独特であり、その際の微調整にはコツが必要ですから、単に簡易検査具など使い光路長や芯を確認しながら締め付け固定すれば、鋭い解像感を実現できる話では・・ないのです!(笑) さすがにこれは15年の為せる技でもありますねッ。
↑鏡胴「前部」が完成したので、ここからは鏡胴「後部」の組立工程に移ります。そうですね、このモデルは鏡胴二分割方式を採っている為、鏡胴は「前部/後部」の2つに分割されます。
❶ ヘリコイドオス側
❷ 距離環
❸ 基台
❹ 鏡胴「前部」締め付け固定環
❺ マウント部
↑距離環を基台にネジ込んでいっても、停止する位置は一意で決まっています。つまりネジ山のスタート位置が1つしか用意されていない為、それが意味するのは「無限遠位置の微調整ができない製品設計」と言うことが確実になります。
↑同様に❶のヘリコイドオス側を無限遠位置のアタリを付けた正しいポジションでネジ込みますが、このモデルは全部で3箇所のネジ込み位置がある為、さすがにここをミスると最後に無限遠が出ず (合焦せず) 再びバラしてここまで戻るハメに陥ります。するとご覧のように基準▲マーカーが縦に一直線にキレイに並び、そこに∞刻印も来ています。
↑ヘリコイドオス側の裏から飛び出ている両サイドには、ご覧のように「直進キーガイド」と呼ぶ鋭角な谷間になるよう研削されている溝が用意されています。そこに対して外側から両サイドで「直進キー+反発式スプリング」のセットが刺さって、反発式スプリングのチカラによって抑え込むよう製品設計されているのが分かります。
つまり距離環を回した時のトルク感を決めている要素の中には、この「直進キー+反発式スプリング」のセットによる「直進キーガイド」への「圧力」も大きく影響していることに気づく必要がありますね。単に塗布するヘリコイドグリースの粘性だけで決まることではないのです。
↑反発式スプリングを押し込んでからマウント部をセットとしたところです。この後は完成している鏡胴「前部」をセットして❹の締め付け固定環で固定すれば完成です。
このように今回のオーバーホール工程の中では、例えばプリセット絞り環と絞り環が関係している「プリセット絞り機構部」には、ロシアンレンズに使われている粘性の高いドロッとしたグリースを塗布しつつも軽い操作感が発揮できるよう、特に微細な凹凸を伴うマットな梨地メッキ加工部分には (製品設計時の狙い通りに) グリースを塗布せずに仕上げ、一方のヘリコイドオスメス側には、負荷が余計に加わらないよう配慮した性質のヘリコイドグリースを塗布すると言う適材適所により、今回のオーバーホール/修理ご依頼内容を反映させた仕上がりとして完成させています。
ここからは完璧なオーバーホール/修理が完了したオールドレンズの写真になります。
《オーバーホール/修理後に残ってしまった瑕疵内容》
❶ 距離環を回すトルクが擦れ感強く重い (白色系グリースの劣化ではないか) → 改善済
❷ 絞り環操作がザラザラで擦れ感が強い → 改善済
❸ オーバーインフ量が多く、距離指標値の10mと24mの間くらいで無限遠合焦 → 僅かに残る
❹ 白色系グリースが塗布されており、濃いグレー状になっている → 改善済
❺ プリセット絞り機構部や絞り環にグリースが多量に塗られている → 改善済
❻ 光学系後群格納筒のイモネジ固定が不適切 → 改善済
❼ 直近のメンテナンスは割りと近年だったか・・???
❽ 直進キーの反発式スプリングの片方が切削されている → そのまま使用
・・こんな感じです。瑕疵が残ってしまい大変申し訳ございません!
❸のオーバーインフ量は当初の「距離指標値の10m〜24mの中央」から「24mの中央」まで、凡そ1目盛り分戻しましたが、それ以上は不可能です。もちろんシム環などを作って間に挟み込んで、ピタリの位置に合わせることは可能ですが、マウントアダプタの仕様によっては大きく変わるため (逆にアンダーインフ状態に陥る為)、その相殺分として敢えて許容を残している次第です・・申し訳ございません。
↑汚かった「反射防止黒色塗料」の着色はキレイに改善させました。「気泡」が複数残っています。
◉ 気泡
光学硝子材精製時に混入し得る溶融過程由来の気泡として扱われ、規格許容範囲内であれば正常品として出荷されていました (写真に影響なし)。
但し、中望遠レンズ以上の焦点距離などのモデルの場合、大きく出現した玉ボケの内側にそれら「気泡」の影がポツポツと写り込む懸念は高くなります。
↑何よりも後群格納筒が前述してきたとおり、イモネジ3本による締め付け固定なので、最大限に優先課題として据えて整備を仕上げました。結果、ご依頼品がお手元に戻り実際に撮影していみるとお分かり頂けますが、ピント面の解像感が僅かですが増しています (当方自身が実写確認して、確認済です)。
単にイモネジ3本で締め付け固定すれば良いワケではないことが、これで実証されたのではないでしょうか(笑) 逆に言うなら、どうしてイモネジで固定する手法を採用していたのかと言う話にならざるを得ませんが、おそらくは「直進キー+反発式スプリング」と「直進キーガイド」と言う製品設計の影響と、さらに鏡筒自身が隙間の中で固定されている結果、アルミ合金材からの応力などを勘案しての対応のようにも考えていますが、真実は不明なままです。いずれにしても、アルミ合金材の研削レベル以前に、そもそもの製品設計自体に課題を抱えていたのではないかと言うのが、当方の最終的な結論です。
↑14枚の絞り羽根もキレイになり、絞り環共々確実に駆動しています。絞り羽根が閉じる際は「完璧に円形絞りを維持」しながら閉じていきます。4群5マイプリモプラン型光学系の描写特徴に合わせて、この絞り羽根の虹彩絞り方式により、まさに「アートレンズ」と呼ぶにふさわしい、芸術性豊かな写真を残せるのではないでしょうか・・。
↑塗布したヘリコイドグリースは「黄褐色系グリース」を使い、当方独自のヌメヌメッとしたシットリ感漂う軽めのトルク感で、掴んでいる指の腹に極僅かにチカラを伝えるだけでピント面の前後微動が適うトルクに仕上げられており、抜群の操作性を実現しています(笑)
筐体外装のアルミ合金材も、ご覧のようにピッカピカに磨き上げたので(涙)、それこそ小さなキズや腐食痕の残りが目に入らなければ、まるで新品の如く光彩を放っています。もちろん指標値刻印も再着色して視認性を上げてあるので、全体の印象もだいぶ変わったのではないでしょうかッ。
肝心な操作性は、前述『残ってしまった瑕疵内容』のとおり、❸だけが顕在しており大変申し訳ございません! 何とか1目盛り分に減じられたので、オーバーインフ量もほぼ∞刻印位置から極僅かの印象に留まり、且つ重かったトルク感も相応に軽く仕上げられていると判定しています。
一方でスカスカで擦れ感強かった絞り環操作は、適度なトルクを与えた結果、シッカリした操作性に仕上がっています。しかもプリセット絞り機構の設定操作時には、下手にグリースを塗布していない分 (前述のとおり、微細な凹凸を伴うマットな梨地メッキ加工にはグリースを塗っていません) 確実で余計な遊びが生じていない操作性に戻り、この点もおそらくは製産時点の状況に非常近づいた操作性まで追求できているのではないかと受け取っています・・如何でしょうかッ。
↑無限遠位置 (当初バラす前の位置から変更/僅かなオーバーインフ状態)、光軸 (偏心含む) 確認や絞り羽根の開閉幅 (開口部/入射光量) と絞り環絞り値との整合性を簡易検査具で確認済です。
被写界深度から捉えた時のこのモデルの無限遠位置を計算すると「焦点距離:58㎜、開放F値:f1.9、被写体までの距離:69m、許容錯乱円径:0.026㎜」とした時、その計算結果は「前方被写界深度:35m、後方被写界深度:∞m、被写界深度:∞m」の為、70m辺りのピント面を確認しつつ、以降後方の∞の状況 (特に計算値想定被写体の140m付近) をチェックしながら微調整し仕上げています。
何故なら、相当な遠方だけで無限遠位置を確定させても、被写界深度の計算値は無限遠合焦そのものの判定基準にはならない為、実写確認と併せて無限遠位置の適正化を判定しています (遠方だけではない)。
逆に言うなら、それは「適正な光路長を確保できたのか」との問いに対しては実写による無限遠合焦確認が基準となるので、判定無限遠での実写確認を行っています。
・・一言に無限遠位置と述べてもいったいどの距離で検査したのかが不明瞭ですね(笑)
ちなみに被写界深度を基準に捉えて検査するのではなく、純粋に無限遠と呼べる距離から検査するなら「焦点距離 x 2000」なので「136m」になる為、その位置 (判定無限遠位置) でも当然ながら確認済です(笑)
◉ 被写界深度
ピントを合わせた部分の前後で、ピントが合っているように見える特定の範囲を指す
従ってピント面の鋭さ感だけを追っても必ずしも光路長が適正とは言い切れず、それはピーク/山の前後動に付随してフリンジ (パープルフリンジやブルーフリンジなどの色ズレ) 或いは偏芯が現れていても、それで本当に適正と言えるのかとの言い換えにもなります(汗)
・・だから被写界深度を基準にしつつ、無限遠位置を微調整しながら仕上げているのです(汗)
なおこれら計算値に基づく無限遠位置の確認については、その適正をChatGPTでも確認できています。特に流行りの「人口星に頼った自作コリメーター」で、纏わり付くフリンジの類までキチッと確かめられるのか、光学系の格納位置やバルサム剤の接着量までちゃんと微調整できているのか、そういう疑念が残りますし、最低限人工星コリメーターによる検査は「10m以上」の実効距離が必要になります。
なお撮影時の対角画角としては、計算すると35㎜判フルサイズ36㎜ x 24㎜にて「対角画角:51.4724°」になります。
↑当方所有の基準マウントアダプタ「K&F CONCEPT製 M42 ― NEX マウントアダプタ」に装着した状態で無限遠位置の微調整と確認を行っています。このマウントアダプタの後に登場したオレンジ色のカラーリングが施されているタイプをご使用頂くと、マウントアダプタの製品全高が僅かに異なる為、アンダーインフ状態ギリギリになります。今回のオーバーホール/修理工程では、それを勘案して1目盛り分の許容範囲にオーバーインフ量を詰めていますから、ご留意下さいませ。
また上の写真は、当方のマウントアダプタでは「とても多くのM42マウント個体で検証した結果の位置」を基に、マウントアダプタ側のネジ込み停止位置を決めていますから (要はメス側部材の固定位置を微調整してある)、それに対してのこの個体の基準▲マーカー位置の状況を明示している撮影です。もちろん当初バラす前時点の確認時点と一切変化はしていません。
↑上の写真は実際に当方所有マウントアダプタにて無限遠合焦を確認できた位置を撮影しています。ご覧のように距離指標値の「24m」の中央あたりで合焦しています。また∞刻印位置の突き当て停止位置も、赤色矢印のように微調整して詰めていますから、当初の∞刻印の右丸位置から僅かに中心寄りに微調整済みです。
なお、このK&F CONCEPT製マウントアダプタの中で、可能であればこのタイプの製品をご使用頂くのが、最もM42マウント規格品への対応能力が高いと指摘できます。自動絞り方式の絞り連動ピンとの相性問題でもピン押し底面の深さを「0.04㎜」で微調整できるのが、それによってだいぶ助かりますし、マウント面が1㎜突出している点も助かります。そして何よりも製品全高が最も適切な厚みで仕上げられていると評価している結果、当方でのM42マウント規格向け、標準のマウントアダプタとして使い続けていますこと、ここに告知させて頂きます。従ってオレンジ色のカラーリングの製品のほうは、同じK&F CONCEPT製品でもお勧めしていません (製品全高が違います)。どうぞご留意下さいませ。
↑当レンズによる最短撮影距離60cm付近での開放実写です。ピントはミニカーの手前側ヘッドライトの本当に「球部分」にしかピントが合っていません (このミニカーはラジコンカーなのでヘッドライトが点灯します)。カメラボディ側オート・ホワイト・バランス設定はOFFです。
各絞り値での「被写界深度の変化」をご確認頂く為に、ワザと故意にピントはミニカーの手前側のヘッドライト、本当に電球部分に合わせています。決して「前ピン」で撮っているワケではありませんし、光学系光学ガラスレンズの格納位置や、向きを間違えたりしている結果の描写でもありません (そんな事は組み立て工程の中で当然ながら判明します/簡易検査具で確認もしています)。またフード未装着なので場合によってはフレア気味だったりします。
↑絞り環を回して設定絞り値「f/2.8」で撮影しています。突然このように解像感が切り立ちます。
↑f値「f/16」になりましたが、ご覧の通り「回折現象」の影響はとても少ないように印象します。
◉ 回折現象
入射光は波動 (波長) なので、光が直進する時に障害物 (ここでは絞り羽根) に遮られると、その背後に回り込む現象を指します。例えば、音が塀の向こう側に届くのも回折現象の影響です。
入射光が絞りユニットを通過する際、回折により点像が広がる為に解像度やコントラスト低下が発生します。この現象は、絞り径を小さくする(絞り値を大きくする)ほど顕著に表れる特性があります。
◉ 被写界深度
被写体にピントを合わせた部分の前後 (奥行き/手前方向) でギリギリ合焦しているように見える範囲 (ピントが鋭く感じる範囲) を指し、レンズの焦点距離と被写体との実距離、及び設定絞り値との関係で変化する。設定絞り値が小さい (少ない) ほど被写界深度は浅い (狭い) 範囲になり、大きくなるほど被写界深度は深く (広く) なる。
◉ 焦点移動
光学ガラスレンズの設計や硝子材に於ける収差、特に球面収差の影響によりピント面の合焦位置から絞り値の変動 (絞り値の増大) に従い位置がズレていく事を指す。
↑最小絞り値「f/22」での撮影です。さすがに絞り羽根が閉じきっている状況なので「回折現象」のみならず「焦点移動」まで起きていますが、それでも当初バラす前時点よりもその影響が減じられたように思いますし、もちろん前述のとおり「解像感が増している」のは、間違いありません。
今回のオーバーホール/修理ご依頼、真にありがとう御座いました! 本日厳重梱包の上、クロネコヤマト宅急便にて発送申し上げます。どうぞよろしくお願い申し上げます。








































































































